尻餅 (落語)

『尻餅』とは、古典落語の中でも特に年末に親しまれる演目の一つです。そのルーツは古く、江戸時代後期の享和2年（1802年）に出版された笑話本『臍くり金』に原話が収められています。

この噺は上方落語で先に形作られたとする見方があり、作中に登場する餅つき唄に「梅は岡本、桜は吉野、紀州みかんに丹波栗」といった上方の地名が多数織り込まれていることがその傍証として挙げられます。

物語の舞台は大晦日の長屋。貧しさゆえに正月の準備がままならない八五郎夫婦の家では、賑やかに餅つきをする隣家の音を聞きながら、重苦しい雰囲気が漂っています。せめて近所の体裁だけは保ちたいと願う八五郎は、ある突飛なアイデアを思いつきます。それは、実際に餅をつかなくても、その「音」だけで餅つきをしているように聞かせかけるというものでした。

夜になり、子供が寝静まったのを見計らった八五郎は、いよいよ計画を実行に移します。彼は家の外に出て大声で餅屋が来たように見せかけ、さらに家の中に入っては餅屋と自分の二役を一人芝居で演じ始めます。餅屋の挨拶、主人とのやり取り、ご祝儀の受け渡しなど、あらゆる場面を声と身振りだけで再現するのです。

そしていよいよ餅つきの段階へ。八五郎は女房に臼を出すように言いますが、もちろんそんなものはありません。そこで彼が考え出したのが、女房のお尻を臼に見立てて叩くという奇策でした。最初は嫌がる女房でしたが、八五郎に説得（半ば強引に）され、着物をまくって尻を出します。八五郎は手に水をつけて、女房の尻を「ペッタン、ペッタン」と、餅つきのリズムに合わせて叩き始めます。「コラショ、ヨイショ…そらヨイヨイヨイ！　アラヨ、コラヨ…」と、調子に乗って叩き続けるうち、女房のお尻はみるみる赤くなってしまいます。

一臼目を終え、「餅を代える」仕草をして二臼目に取りかかろうとした時、痛みに耐えかねた女房が思わず口を挟みます。「餅屋さん、あと幾臼あるの？」と、架空の餅屋に向かって尋ねてしまうのです。

八五郎は餅屋の声色に戻って答えます。「へぇ。後、ふた臼位でしょうか」。

すると女房はすかさず八五郎に頼みます。「おまえさん、餅屋さんに頼んで、あとの二臼はおこわにしてもらっとくれ」。これで、これ以上尻を叩かれるのを回避しようとしたわけです。この機知に富んだ女房の一言が、噺の主なサゲ（落ち）となっています。

この落ちにはバリエーションがあり、上方落語では「おこわにしてもらっとくれ」ではなく、「白蒸（しろむし）で…」とする形があります。白蒸しとは、もち米を蒸しただけでまだ搗いていない状態のことであり、「これ以上叩かないでほしい」という女房の気持ちがよりストレートに伝わります。また、東京の8代目三笑亭可楽は、この噺の前に同じく大晦日を扱った『掛取万歳』の一部を演じることで、主人公夫婦の貧困とそれを笑い飛ばすような能天気さを強調する演出を行っていました。

『尻餅』は、多くの名人によって演じられてきた人気の演目です。特に、東京では8代目三笑亭可楽や桂歌丸といった噺家が、上方では5代目笑福亭松鶴・6代目笑福亭松鶴といった師匠方が得意としました。中でも、5代目松鶴の口演は、文芸評論家の正岡容によってその著書『寄席歳時記』の中で「十八番」、すなわち最も得意とする演目の一つであると高く評価されています。

貧しくとも明るく暮らそうとする夫婦の姿、そして音だけで様々な情景を描き出す主人公の滑稽な奮闘ぶりが聴きどころであり、年の瀬にぴったりの温かい笑いを誘う一席です。

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