市田儀一郎

市田儀一郎（1932年1月28日 - 2014年11月28日）は、ピアニスト、音楽教育者、そして音楽学者として、日本の音楽界に多大な貢献をした人物です。

大阪府に生まれた市田は、武蔵野音楽大学を卒業し、さらに同大学の専攻科を修了しました。その後、ドイツに渡り、ミュンヘン音楽・演劇大学でF.ヴューラー教授のもとで研鑽を積みました。帰国後は、母校である武蔵野音楽大学で教鞭を執り、その後は信州大学でも教授を務めるなど、長年にわたり音楽教育の第一線で後進の指導にあたりました。その功績が認められ、平成音楽大学名誉教授の称号を得ています。また、日本ピアノ教育連盟の副会長としても、ピアノ教育の発展に寄与しました。

音楽学者としては、特にJ.S.バッハやシューベルトといった古典派の作品研究に情熱を注ぎました。バッハの平均律クラヴィーアやシューベルトのピアノソナタ全集の校訂は、多くの演奏家や研究者にとって重要な資料となっています。また、20世紀イギリスの音楽学者ハワード・ファーガソンを日本に紹介することにも力を入れ、その業績を広く知らしめる役割を果たしました。

演奏技法や音楽解釈に関する著作も数多く残しています。特にバッハのクラヴィーア作品の解釈と演奏法については、『バッハ平均律クラヴィーア 解釈と演奏法』全2巻（1968年、1983年、音楽之友社）、『バッハ・インヴェンションとシンフォニーア 解釈と演奏法』（1971年、音楽之友社）といった著書があり、これらはバッハ演奏の手引きとして長く親しまれました。教育者としての経験に基づいた『ピアノ伴奏の基本と奏法』（1976年、明治図書出版）や、ピアノ教師に向けた提言をまとめた『タッチ、このすばらしい手 ピアノ教師への提言』（1990年、全音楽譜出版社）などもあり、ピアノ教育の実践において貴重な指針を提供しました。晩年には、ヘルムート・ブラウスの著書『ピアノを歌わせるペダリングの技法』の監訳を手がけるなど、常に新しい知識の導入にも意欲的でした。

市田儀一郎の活動は音楽分野にとどまりません。特筆すべきは、日本画家・吉川霊華（1874-1929）の顕彰に捧げた情熱です。1959年頃、神田の古書店街で偶然見かけた霊華の書簡に強い感銘を受けたことが、その活動の始まりでした。書簡から感じられる力強さと研ぎ澄まされた線に心を奪われた市田は、霊華に関する資料を探し求め始めます。当時の文献だけでは十分な情報が得られないと感じた市田は、関係者を探し出して話を聞くなど、地道な調査を重ね、貴重な情報を収集していきました。こうした長年の努力が実を結び、1979年には集英社から『吉川霊華画集』が出版されるに至ります。市田はこの画集の執筆と編集の中心的な役割を担いました。さらに、一時期は自ら「吉川霊華顕彰会」を組織し、護国寺近くのマンションの一室を改造して、自身の手元にある霊華の作品を公開するなど、その存在と功績を後世に伝えるために精力的に活動しました。こうした市田の尽力によって、吉川霊華は美術史において再評価されるきっかけを得たと言えるでしょう。

音楽における教育、研究、演奏の実践、そして異分野である日本画の顕彰という多岐にわたる活動を通じて、市田儀一郎は日本の文化・芸術の振興に貢献しました。2011年には瑞宝中綬章を受章しています。その生涯は、深い専門性と広い視野を持ち合わせた稀有な人物であったことを示しています。

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