幼若ホルモン

幼若ホルモン（Juvenile hormone, JH）

概要

幼若ホルモン（JH）は、昆虫の発育過程において極めて重要な役割を果たす一群のホルモンです。その名の通り、主に幼虫期に機能し、幼虫の形態を維持したまま成長を続けることを可能にします。昆虫の脳の後方に位置する内分泌腺であるアラタ体（corpora allata）から分泌されます。

昆虫の成長と変態は、主に二つの主要なホルモン、すなわちエクジソンと幼若ホルモンの相互作用によって緻密に制御されています。エクジソンは脱皮と変態を誘導するホルモンですが、幼若ホルモンが共存する環境下では、エクジソンは単なる脱皮を引き起こし、幼虫は次の幼虫段階へと成長します。一方、幼若ホルモンのレベルが低下し、エクジソンが単独で作用するようになると、昆虫は蛹化または成虫への変態を遂げます。このように、幼若ホルモンは「幼虫らしさ」を維持する役割を担い、昆虫が適切なタイミングで次の発育段階へ進むためのブレーキとして機能します。

多様な生理機能

幼若ホルモンの機能は、単に変態を制御することに留まりません。昆虫が示す多様な生理現象や行動の制御にも深く関与しています。

• - 生殖腺の発達: 成虫における卵巣や精巣の発達、卵形成などを促進する役割を持ちます。
• - 休眠: 不利な環境条件下で活動を停止する休眠（diapause）の誘導や維持に関わることが知られています。
• - 分業: 社会性昆虫（例: アリ、ハチ）における階級間の分業や行動の差異を調節する一因となることがあります。
• - 形態形成: 体の色や模様といった形態的な特徴の形成にも影響を与える場合があります。

構造と分類

幼若ホルモンの化学構造は、昆虫の分類群によっていくつかのタイプが存在します。現在までに少なくとも6種類の幼若ホルモン（JH0, JHI, JHII, JHIII, JHB3, Iso-JHB3）が同定されています。

• - JHIII: 甲虫目、膜翅目、双翅目など、多くの昆虫で主要な幼若ホルモンとして機能します。
• - JHI, JHII: 鱗翅目（チョウやガの仲間）で主に利用されています。

また、昆虫以外の節足動物、例えば甲殻類や多足類などにおいても、幼若ホルモンに似た構造を持つホルモンが見つかっており、これらを広義の幼若ホルモンに含める場合もあります。これらのホルモンは、各動物群の成長や生殖などに関与していると考えられています。

応用

幼若ホルモンの作用を利用した合成化合物は、昆虫の駆除や管理に用いられています。幼若ホルモンの合成類似体（JHA: Juvenile Hormone Analogues）または幼若ホルモン様物質（JHM: Juvenile Hormone Mimics）と呼ばれるこれらの物質には、メトプレンやピリプロキシフェンなどがあります。

これらの合成類似体は、昆虫の幼虫期に投与されると、体内の幼若ホルモンレベルが高い状態が維持されます。これにより、幼虫は成虫への正常な変態を行うことができず、羽化不全を起こしたり、幼虫の形態のまま死亡したりします。結果として成虫になって繁殖するのを阻害するため、昆虫成長制御剤（Insect Growth Regulator, IGR）として、衛生害虫（例: カ、ハエ）や貯穀害虫の対策に利用されています。

ただし、この作用機序のため、幼虫期が長引くことによってかえって被害が増加する種類の昆虫に対しては、使用が推奨されません。

特記事項

幼若ホルモンは昆虫の全ての齢で同じように機能するわけではありません。特に若齢幼虫の段階では、たとえ幼若ホルモンが合成されない変異体であっても、変態を伴わない通常の脱皮を行うことが観察されています。これは、幼若ホルモンが変態を抑制する機構が、ある特定の齢期以降に確立することを示唆しています。

近年、胚発生の初期段階における幼若ホルモンの役割も注目されています。具体的には、成虫になるための始原生殖細胞が胚の中で適切に配置される過程に関与していることが報告されました。この機能は、変態を抑制するという幼若ホルモンとして一般的に知られる作用よりも、進化的に見てより古い、原初的な機能である可能性が示唆されています。

歴史

幼若ホルモンの存在は、20世紀半ばから研究が進められました。1956年に昆虫学者のキャロル・ウィリアムズ（Carroll Williams）によって、カイコの仲間であるセクロピア蚕（Hyalophora cecropia）の雄成虫の腹部抽出物に、幼若ホルモン様の活性があることが示唆されましたが、この時の抽出物には実際の活性は検出されませんでした。その後、研究が進み、1967年にロラー（Roller）らのグループによって、同じくセクロピア蚕から純粋な幼若ホルモン（JHI）が微量ながら精製され、その生物活性が確認されました。これにより、幼若ホルモンの化学構造が明らかになり、その後の研究が大きく進展しました。

もう一度検索