弦楽四重奏曲第75番 (ハイドン)

弦楽四重奏曲第75番 ト長調 作品76-1, Hob. III:75

フランツ・ヨーゼフ・ハイドンによって1797年に作曲されたこの弦楽四重奏曲は、彼の創作活動における円熟期を象徴する「エルデーディ四重奏曲」全6曲（作品76）の冒頭を飾る作品です。偽作や編曲作品などを除いたハイドンの弦楽四重奏曲の中では第60番にあたりますが、一般的には出版順の「作品76の1」として広く知られています。また、同作品群の通称である「エルデーディ四重奏曲」から派生して、「エルデーディ四重奏曲第1番」と呼ばれることもあります。

特筆すべきは、この曲に海外で付けられた愛称「びっくり箱」（Jack-in-the-box）です。これは主に終楽章のコーダにおける予期せぬユーモラスな音楽的展開に由来しており、聴き手を驚かせ楽しませるハイドンならではの遊び心が反映されています。演奏時間は約20分で、典型的な4つの楽章から構成されています。

楽章構成

第1楽章：アレグロ・コン・スピーリト

ト長調、2分の2拍子（アラ・ブレーヴェ）で書かれたソナタ形式の楽章です。冒頭に提示される3つの力強い和音に続いて現れる主要主題は、まるでフーガの開始を思わせるような模倣の様式で各声部に引き継がれますが、これは厳格なフーガとして展開されるわけではありません。このフーガめいた導入は、ハイドンが形式や慣習に対して見せたウィットに富んだアプローチの一つであり、聴衆を惹きつけつつも期待を裏切るようなユーモラスな効果を生み出しています。楽章全体を通じて、活気あふれるスピリットが保たれています。

第2楽章：アダージョ・ソステヌート

ハ長調、4分の2拍子によるソナタ形式の緩徐楽章です。この楽章は、ハイドンの晩年における内省的で深い抒情性を帯びた音楽の特徴をよく示しています。静かで感動的な旋律が紡ぎ出され、聴く者に深い安らぎと感動を与えます。この楽章の崇高な美しさは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの傑作『ジュピター交響曲』（交響曲第41番）の緩徐楽章や、ハイドン自身の同時期の大規模な作品である交響曲第99番変ホ長調（Hob. I:99）の緩徐楽章などと比較されることがあります。

第3楽章：メヌエット：プレスト - トリオ

ト長調、4分の3拍子で構成される三部形式の楽章です。「メヌエット」と称されていますが、その指示にある「プレスト」（非常に速く）が示す通り、実際の音楽の内容はスケルツォに近い性格を持っています。力強く快活な主部に対し、中間部にあたるトリオは対照的な穏やかさや別の素材を提示します。ハイドンの得意とする簡潔かつ効果的な手法で書かれたトリオを経て、再び冒頭のメヌエット（実質スケルツォ）に戻り、楽章を閉じます。

第4楽章：フィナーレ：アレグロ・マ・ノン・トロッポ

ト短調からト長調へと移行する、2分の2拍子（アラ・ブレーヴェ）のソナタ形式による終楽章です。楽章は短調によるユニゾンの動機によって印象的に開始されます。その後、細かく動き回る速いパッセージが特徴的な主要主題が提示され、活発に展開されていきます。全体としては快速なテンポで進みますが、「マ・ノン・トロッポ」（しかし速すぎずに）という指示が示すように、一定の落ち着きも保たれています。ソナタ形式の展開を経て、楽章はト長調へと転じ、コーダを迎えます。このコーダ部分に見られるユーモラスで遊び心のある音楽こそが、海外における愛称「びっくり箱」の由来となった部分であり、聴き手を驚かせつつも楽しい気分にさせる仕掛けが盛り込まれています。この楽章は、曲全体の締めくくりとして、ハイドン後期の弦楽四重奏曲に典型的な、明るさと機知に富んだフィナーレを飾ります。

この弦楽四重奏曲第75番は、『エルデーディ四重奏曲』全体の冒頭に置かれるにふさわしい、ハイドンの創意と円熟した技法が見事に融合した傑作であり、彼の弦楽四重奏曲のレパートリーの中でも特に魅力的な作品の一つとして位置づけられています。

もう一度検索