恋人たち (ティツィアーノ)

ティツィアーノ作『恋人たち』の謎

イタリア・ルネサンス期の巨匠、ティツィアーノ・ヴェチェッリオが1510年頃に制作した油彩画『恋人たち』。この作品は、その独特な構図と謎めいた主題から、長年にわたり様々な解釈を生み出してきました。初期のティツィアーノが受けたジョルジョーネの影響が色濃く反映されていると言われています。かつてイングランド国王チャールズ1世が所有し、現在はロイヤル・コレクションとしてウィンザー城に所蔵されています。また、フィレンツェのカーサ・ブオナローティには、ティツィアーノ後のヴァリアントが所蔵されています。

作品の構成と主題の謎

画面右端には、若い男性の腕の中で気絶しているように見える若い女性が描かれています。一方、画面左には別の男性が、女性の衣服の下に右手を滑り込ませ、その胸に手を当てながら鑑賞者を見つめています。この絵が、19世紀の題名のように「病気の女性と夫、医師」を描いたものなのか、あるいは恍惚の中で休んでいる恋人たちを描いた作品なのかは不明です。同時代の文学や古典文学に登場する恋人たちを描いている可能性も指摘されていますが、具体的にどのエピソードを描いているのかは特定されていません。

ティツィアーノは、一般的に画面の人物に同時代の衣装を与えることを避けていたため、絵画に描かれている人物の身分や状況を判断することは困難です。カーサ・ブオナローティ所蔵の同構図の別のバージョンは、『ルクレティアの死』として知られていますが、どちらの作品にもこれを裏付ける剣や傷は描かれていません。

ポンペイウス説

本作品の主題に関する有力な説の一つは、バロック期の伝記作家カルロ・リドルフィの記述に基づいています。リドルフィは、ティツィアーノがグナエウス・ポンペイウスの腕の中で失神する妻コルネリアの半身像を描いたと述べており、この作品がその記述と関連する可能性があると指摘されています。

古代ローマの政務官ポンペイウスは、カエサルとの最後の戦いの前に、妻コルネリアを安全なレスボス島に避難させようとしました。しかし、コルネリアは別れ際に従者の腕の中で気を失ったとされています。このエピソードが描かれている可能性が指摘されています。しかし、画面の中で女性を抱きかかえている男性は従者とするには重要な人物に見えるため、この説にも疑問が残ります。

マッテオ・バンデッロ説

ジョヴァンニ・バティスタ・カヴァルカゼルとジョゼフ・アーチャー・クロウは、ルネサンス期の作家マッテオ・バンデッロの中編小説に、この絵画と一致する場面が2つあると主張しました。そのうちの1つは、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』の元ネタとなったとされる物語です。

バンデッロの物語によれば、ある若い女性が若い男性と密かに結婚しますが、男性は父親によって海外に送られ、女性は別の男性と結婚せざるを得なくなります。女性は気を失って埋葬されますが、戻ってきた本当の夫によって蘇生されます。別の物語では、ブルゴーニュ公の姪が密かに結婚しますが、最終的にカルロ・ヴァルドレオの腕の中で死去し、男性もその後自殺します。この物語には、画面の中の3人目の男性を説明できる要素が含まれています。

しかし、この説には難点があります。絵画の制作年代が1510年頃であるのに対し、バンデッロが小説を書き始めたのは1530年代以降であり、出版はさらに遅い1554年になってからであるため、バンデッロの小説がこの絵画のインスピレーションになったと考えるのは難しいでしょう。

制作過程

数多くのペンティメントやX線撮影で明らかになった下絵は、ティツィアーノが制作過程で多くの変更を加えたことを示しています。女性の衣服や胸の露出度、男性の手の位置などが変更されています。3人目の男性の手は、ほとんど思いつきで描き加えられたようです。これらの筆遣いや下絵と完成作の違いは、ティツィアーノの特徴であり、ロイヤル・コレクションのバージョンがティツィアーノのオリジナルであることを示唆しています。しかし、保存状態が悪いため特定は困難です。

来歴

この絵画は、チャールズ1世のコレクションに由来します。チャールズ1世の処刑後に売却されましたが、王政復古の時代に回収され、現在はウィンザー城の「キングズ・クローゼット」に飾られています。

まとめ

『恋人たち』は、ティツィアーノの卓越した画力と謎めいた主題が織りなす傑作です。様々な解釈や説が提唱されていますが、その真相は今もなお謎に包まれています。この作品は、鑑賞者に様々な想像力を掻き立て、長く愛され続けることでしょう。

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