戦略的安定性

戦略的安定性とは、相互に決定的な打撃を加える軍事的能力を有する潜在的な敵対国同士が保つ、一種の力の均衡を指す概念です。この均衡が保たれることで、両国間の関係は比較的に安定し、大規模な軍事衝突、特に核戦争のリスクが抑制されると考えられています。

この概念が特に注目され、安全保障戦略の中心に据えられたのは、核兵器が登場し、その破壊力が飛躍的に増大した「核時代」においてです。第二次世界大戦後、世界はアメリカ合衆国とソビエト連邦という二つの超大国による冷戦構造へと移行しました。両国は互いに相手国を壊滅させるだけの核兵器を保有し、その能力を高め合いました。このような状況下で、偶発的な衝突や、相手による先制攻撃を防ぎ、両国間に安定した軍事関係を築くことが喫緊の課題となりました。アメリカでは、ソ連の核兵器による壊滅的な先制攻撃能力を真剣に考慮し、この脅威にいかに戦略的に対処すべきかが深く議論されました。この議論を経て、戦略的安定性の確保がアメリカの国家安全保障戦略における主要な目標の一つとして明確に位置づけられるようになったのです。

戦略的安定性を実現するための重要な手段として、核抑止戦略が発展しました。1950年代には、ソ連がアメリカ本土に核兵器で攻撃できる能力を獲得したことが認識され、アメリカ国内では大きな戦略的懸念が生じました。もしソ連が奇襲的に核攻撃を仕掛けてきたら、アメリカは生き残ることができるのか、そして効果的な報復は可能なのか。こうした問いに対し、当時の政策立案者たちは、敵の先制攻撃を思いとどまらせるための核戦略を策定しました。特に、ロバート・マクナマラ国防長官の下で推進された核戦略は、アメリカが敵からの第一撃を受けてもなお、壊滅的な報復を行う能力（第二次攻撃能力）を維持することに重点を置きました。この「相互確証破壊（MAD：Mutual Assured Destruction）」と呼ばれる考え方は、相手が核攻撃を仕掛ければ、自国もまた確実に破壊されるという確信を与えることで、どちらの国も先制攻撃に踏み切れない状況を作り出し、結果として核兵器が実際に使用されることを防ぐことを目指しました。このような核抑止戦略が機能することにより、冷戦期のアメリカとソ連の間には、核兵器が大量に存在するにもかかわらず、ある種の戦略的な安定がもたらされたと考えられています。

しかし、核抑止が機能する一方で、両国間の核兵器開発競争は激化し、その規模は膨れ上がりました。1970年代に入ると、この大規模な軍拡競争そのものが、予期せぬ事態や誤算による核戦争のリスクを高めるという、新たな安全保障上の深刻な問題として認識されるようになりました。単に相互に破壊し合える能力を持つだけでなく、軍拡競争そのものを制御し、より持続可能な形で戦略的安定性を維持する必要性が高まったのです。こうした背景から、核兵器の数を制限し、軍事活動を管理するための「軍備管理」や「核軍縮」の取り組みが不可欠となりました。1969年には、アメリカとソ連の間で戦略兵器制限交渉（SALT：Strategic Arms Limitation Talks）が開始されました。この交渉は困難を伴いましたが、1972年には第一次戦略兵器制限交渉の合意（SALT I）と、弾道弾迎撃ミサイル（ABM）制限条約の締結という重要な成果を上げました。これらの条約は、核兵器の特定の種類や配備数を制限したり、相手国の核攻撃に対する防御システム（ABM）の拡大を制限したりすることを通じて、両国間の戦略的な均衡を意図的に管理しようとする試みでした。軍備管理は、核戦争の直接的な危険を抑制するだけでなく、お互いの安全保障上の手段を一定の範囲内で制限することにより、過度な軍拡競争を防ぎ、戦略的安定性を回復・維持する上で重要な役割を果たしました。

このように、戦略的安定性とは、単に二国間が軍事的に対峙している状態を指すのではなく、特に核兵器のような破滅的な兵器の存在下で、相互の軍事力、特に核戦力の規模や運用方法を管理し、意図的に維持される安定した均衡状態を意味します。この均衡は、核抑止戦略や軍備管理といった具体的な政策や交渉を通じて形成され、国家がその安全保障目標を達成するための重要な基盤となります。冷戦期において超大国間の大規模な軍事衝突を回避する上で極めて重要な概念であった戦略的安定性は、核兵器が拡散した現代においても、国際安全保障を考える上で引き続き重要な意味を持ち続けています。

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