抜衣紋

抜衣紋（ぬきえもん）

抜衣紋（ぬきえもん）とは、女性の和服の着付けにおいて、特に後襟（衣紋）を意識的に大きく引き下げ、美しい襟足（うなじ）を際立たせるための技法です。これは、単に首の後ろを見せるだけでなく、着る人の品格や色気、あるいは年齢や立場を示す要素ともなり得る、日本の伝統的な着こなしの一つです。

概要

この着付け方は、主に江戸時代以降に広く結われるようになった日本髪を結った際の髱（たぼ：後頭部から首にかけて垂れ下がる部分）の形を崩さないようにしたり、髪を結う際に使用する油などが襟に付着して汚れるのを防いだりするために発達したと考えられています。当時の女性にとって、結い上げた髪型を美しく保つことと、大切な和服を清潔に保つことは非常に重要であり、抜衣紋はこれらの実用的な目的から生まれたと言われています。

具体的な着付け方としては、和服を着用する際に、身頃の肩山（肩の頂点にあたる部分）を通常より後ろにずらして着ることから始まります。これにより、襟の後ろ側、特に首に沿う襟肩回りが、日本髪の髱の形や位置に合わせて、まるでU字やV字のように大きく後ろに引かれることになります。この「引き」によって、首の後ろ、すなわち襟足の部分が大きく露わになり、うなじの美しさが強調されるのです。

抜衣紋を効果的に、そして美しく行うためには、着付けの技術はもちろんのこと、和服を仕立てる段階での「繰り越し」が非常に重要になります。繰り越しとは、仕立ての際に身頃の肩山を通常より後ろにずらして裁断・縫製することです。この繰り越しが十分に（一般的に1cmから5cm程度）取られていないと、着付けの際にいくら衣紋を引こうとしても、美しいカーブを描きながら深く抜くことが難しくなります。着付けの技術と同様に、この繰り越しの加減が、美しい衣紋の抜き方に大きく影響し、着物全体のシルエットや着る人の印象を左右します。

また、抜衣紋の抜き加減は、単に技術の問題だけでなく、着る人の年齢や立場、あるいは時代によって適切な度が異なります。一般的に、まだ若い女性や未婚の女性は衣紋をあまり深く抜かず、慎み深さや清らかさを表現します。一方、年齢を重ねた既婚女性などは、より深く衣紋を抜くことで、落ち着きや大人の色気、円熟味を示唆することが一般的でした。さらに、格式張らない場面や和服を着慣れていない素人女性は控えめに抜くのに対し、玄人、すなわち芸者や遊女のような粋筋の女性たちは、その魅力や華やかさを表現するために、衣紋を大きく、大胆に抜くことが多かったと言われています。このように、衣紋の抜き方には、着る人の個性を表現するだけでなく、社会的な立ち位置や経験、さらには美意識を示す多様な意味合いが込められていました。

歴史的な記述

古典的な文献にも抜衣紋に関連する言及が見られます。江戸時代の随筆「松屋筆記」の第九十三巻には、「追衣紋（のけえもん）多くは誤てぬきえもんと云へり」という記述があります。これは、「抜衣紋」という言葉が、別の「追衣紋」という着方や概念と混同されたり、あるいは同義として扱われたりしていた可能性を示唆しており、当時の用語の混乱や、地域・階層による言葉の違い、専門家と一般の認識の違いなど、和服の着付けに関する言葉の変遷や文化の一端をうかがわせる興味深い記述です。

洋服への応用

抜衣紋にインスパイアされた着こなしやデザインは、和服の世界に留まらず、現代の洋服のデザインにも影響を与えることがあります。特に、洋服の襟周りの仕立て方や、シャツやブラウスなどを首の後ろに少しずらして着るスタイルにおいて、「抜き衣紋風」あるいは「オフショルダー」のような着こなしがファッションとして流行することがあります。日本国内においては、比較的近年の例では2010年代後半に、そして少し遡ると1950年代にも、このような「抜き衣紋風」のスタイルが、和のテイストを取り入れた新しいファッションとして注目を集めた時期が見られます。

関連項目

和服
着付け
* 和裁

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