新倉掘抜

新倉掘抜（あらくらほりぬき）

新倉掘抜は、山梨県南都留郡富士河口湖町船津と富士吉田市新倉を結ぶ、隧道式の用水路です。河口湖の水を船津から取り入れ、天上山（嘯山）の直下を貫通させて新倉へと送水しています。江戸時代に約170年もの歳月をかけて完成したこの用水路は、全長3.8キロメートルに及び、日本最長の手掘りトンネルとして知られています。現在では、富士河口湖町と富士吉田市それぞれの指定史跡となっています。

郡内地方における治水と新倉掘抜

江戸時代の甲斐国では、甲府盆地を中心とする国中地方や、都留郡（郡内地方）において、領主主導による用水路の開削など、大規模な土木事業が盛んに行われていました。これにより、新田開発が進み、農業生産力が向上しました。郡内地方では、元和8年（1622年）に谷村藩主となった秋元氏の時代に、谷村大堰（十日市場大堰、都留市）や禾生用水（都留市）といった大規模な堰が開削されたと伝えられています。

これらの領主主導の用水路開削に対し、新倉掘抜は、村落が主体となって開削された点が特徴的です。3度にわたる大規模な工事を経て、ようやく通水に至りました。

現在の富士吉田市と富士河口湖町は、山梨県の南東部に位置しています。新倉村は、富士吉田市域の北西に位置し、嘯山（現在の天上山）や尾重山に囲まれた地域です。桂川（相模川）や、その支流からも離れており、水資源に乏しい場所でした。

また、新倉村の南東には、透水性の高い溶岩台地である「剣丸尾」が広がっているため、地下水の利用や用水路の開削は困難を極めました。そのため、わずかな沢水や湧水に頼らざるを得ず、慢性的な水不足に悩まされ、耕地化も進まない地域でした。さらに、近世の郡内地方の主要産業であった郡内織の生産においても、染色などの工程で大量の水を必要としており、新倉地域を潤す用水路の開発が切望されていました。

一方、新倉村の西側に位置する河口湖は、流出口のない天然の内陸湖であるため、湖岸の村々では、大雨による冠水被害が頻発していました。中世には『勝山記』にその被害の様子が記録されています。こうした対照的な問題を解決するため、江戸時代には、両地域の間にある山にトンネルを掘り、河口湖の水を引いて溶岩台地を開拓するという構想が生まれました。

新倉掘抜の開削

新倉掘抜の着工時期に関する古文書は見つかっていませんが、後世の記録によれば、事業は江戸初期の谷村藩主、秋元喬知の時代に始まったとされています。延宝3年（1675年）に着工され、16年の歳月を経て元禄3年（1690年）に完成したと伝えられています。谷村大堰や禾生用水など、秋元氏が実施したとされる事業には異説も存在しますが、新倉掘抜に関しては、後世の史料から秋元氏による開削説が有力視されています。

後年の調査によれば、秋元氏の時代に掘抜は開通したものの、工事に不備があり安定した水量を確保できませんでした。岩盤掘削も十分に行われなかったため、屈曲が多く、漏水や崩落事故が頻発し、トンネルとしての機能を果たせなかったと言われています。宝永元年（1704年）に秋元氏が武蔵国川越へ転封となると、新倉掘抜は廃坑となりました。

郡内領が代官支配となった享保年間には、諸村の連名で谷村代官所へ掘抜の再開を求める請願書が提出されました。しかし、反対意見や養蚕・織物業の不況などにより、立ち消えとなってしまいました。

弘化4年（1847年）には、嘯山の崩落により、秋元氏時代の古穴が発見されました。これを受け、新倉村では、古穴を利用した単独での開削工事を実施しました。工事は、近隣の村々や谷村陣屋からの資金援助を受けて開始され、古穴の発掘、石工や大工の動員による岩盤の掘削、そして崩落や漏水箇所の補修などが行われました。嘉永5年（1852年）には、通水に成功し、畑地の水田への転換や溶岩台地の開拓が可能となりました。

しかし、安政元年（1854年）には、湖水の大幅な減少や崩落事故により、再び通水が停止しました。再度の工事再開が求められましたが、弘化年間の工事で各村が経済的に疲弊し、負債整理をめぐって対立が生じていたため、反対意見が続出しました。文久2年（1862年）には、郡内各地や駿河国の富裕層に呼びかけ、大型の無尽（互助組織）を組織して資金を調達。工事が再開され、区間ごとの請負制を導入したり、岩盤掘削のために専門の石工を動員したりして、元治2年（1865年）にようやく完成しました。

その後は安定した通水が実現し、大正2年（1913年）に県庁によって掘削された新たな暗渠が開通するまで機能しました。

現在

新倉掘抜に関する資料は、富士吉田市歴史民俗博物館に所蔵されており、一部は常設展示されています。また、取水口側の富士河口湖町船津には「新倉掘抜史跡館」があり、関係資料の展示のほか、実際のトンネルが公開されており、約60メートルの深さまで見学することができます。富士吉田市新倉の出口には、弁天神社が鎮座しています。

作家の井伏鱒二は、新倉掘抜の開削や松尾芭蕉の谷村滞在、富士山噴火など、郡内地方の歴史を取材し、1976年（昭和51年）1月から7月まで雑誌『海』に「新倉掘抜」を連載しました。1986年には『岳麓点描』として単行本化されています。

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