新歴史家

新歴史家（The New Historians）

イスラエルにおける「新歴史家」（ヘブライ語: ההיסטוריונים החדשים）とは、従来のイスラエルの歴史認識、特に1948年の建国前後の出来事や、イスラエルとアラブ諸国との関係史に対する見方に異議を唱える一群の歴史家や研究者を指す呼称です。

登場と背景

「新歴史家」という言葉自体は、主要な論者の一人であるベニー・モーリスが1988年に用いたことで広く知られるようになりました。しかし、この新たな歴史観の流れは、それ以前、1980年代初頭に始まっています。彼らの研究の基盤となったのは、イスラエル独立から約30年が経過し、機密解除されたイスラエル政府の公文書など、これまで利用できなかった一次史料でした。これらの新しい史料を詳細に分析することによって、彼らは従来の公式な歴史 narrative とは異なる結論を導き出しました。

この新しい歴史研究の潮流を最初に牽引したのは、ベニー・モーリス、イラン・パッペ、アヴィ・シュライム、シムハ・フラパンといった学者たちです。その後、トム・セゲフ、バルーフ・キメルリング、ジョエル・ミグダル、アイディス・ザータル、シュロモー・ザンドなど、多くの歴史家や歴史社会学者がこの動きに続きました。

主要な論点と「公式な歴史」との対比

新歴史家たちの研究は、イスラエル建国にまつわるいくつかの重要な側面について、従来の「公式な歴史」とされてきた見解を根底から問い直すものでした。アヴィ・シュライムは、その主な違いを以下のように整理しています。

イギリスの役割: 従来の歴史観では、イギリスはユダヤ人国家の樹立を妨げようとしたとされてきました。これに対し、新歴史家は、イギリスはむしろパレスチナ人国家の樹立を阻止しようとした、あるいはそのための行動を取ったと主張します。
パレスチナ人の離散: 公式の見解では、1948年の戦争中に故郷を離れたパレスチナ人は、自らの意思で、あるいはアラブ指導者の指示によって立ち去ったとされてきました。しかし、新歴史家は、彼らの多くがイスラエル軍の軍事行動や威嚇によって故郷から追い立てられ、追放された結果として難民となったと論じます。
軍事力の均衡: 第一次中東戦争（独立戦争）において、従来の歴史観は、イスラエルが数的に圧倒的に優位なアラブ連合軍に対して劣勢を強いられた状況で戦ったと描いてきました。これに対し、新歴史家は、兵力や装備の面でイスラエル側が優位にあった局面も多く、必ずしも一方的な劣勢ではなかったと分析します。
アラブ諸国の連携: 公式の歴史観では、アラブ諸国がイスラエルを破壊するために一致団結して侵攻してきたとされてきました。しかし、新歴史家は、実際にはアラブ諸国の間には分裂や相互不信があり、一枚岩ではなかったことを指摘します。
* 和平交渉の停滞: イスラエルとアラブ諸国間の和平が進まない原因について、従来の歴史観は主にアラブ側の強硬姿勢や非妥協的な態度に責任があるとしてきました。これに対し、新歴史家は、和平交渉の行き詰まりや紛争の継続には、イスラエル側の政策や行動にも大きな責任があったと主張します。

パレスチナ人追放の意図に関する解釈では、新歴史家の中でも差異が見られます。例えば、イラン・パッペは、シオニストの指導者たちが最初からパレスチナ人の大多数を追放する明確な意図を持っていたと考えます。一方、ベニー・モーリスは、追放が必ずしも事前の計画に基づいていたわけではなく、戦争の混乱や偶発的な状況の中で発生した側面が強いと論じています。

目的と影響

新歴史家たちの研究は、イスラエル建国とパレスチナ問題の複雑な歴史をより批判的かつ多角的に理解することを促しました。彼らの議論は、地域の和平プロセスを進める上でも重要な示唆を与えるものだと指摘されることもあります。多くの新歴史家は、イスラエルとアラブ諸国の双方が、現在の紛争状態とパレスチナ人の苦難に対して何らかの責任を負っているという見方を示しています。

当初、彼らの研究成果はイスラエル国内で強い反発を受け、論争を巻き起こしました。しかし、1990年代に入ると、彼らの学術的な手法や新たな史料に基づく分析が評価され、徐々にイスラエルの歴史学会の中で正統性を得るようになっていきました。彼らの導き出した結論の一部は、「ポスト・シオニズム」と呼ばれる政治的・思想的な潮流にも影響を与えています。

新歴史家たちの登場は、イスラエルの歴史認識に大きな変化をもたらし、建国神話に代わる、より批判的で複雑な歴史理解への道を開いたと言えるでしょう。

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