日本の悪霊

日本の悪霊：高橋和巳の遺作長編小説

高橋和巳の代表作の一つに数えられる長編小説『日本の悪霊』は、昭和44年10月、河出書房新社から刊行された『高橋和巳作品集6 日本の悪霊他』に収録された作品です。同作品は、昭和41年から43年にかけて雑誌『文藝』に断続的に連載されたものの、単行本化されず、その後150枚の書き下ろしを加え、全面的に加筆修正されたのちに世に出ることとなりました。文庫版は新潮文庫、河出文庫から刊行されています。

本作は、かつてテロリストとして強盗殺人事件を起こし、逃亡生活を送った末に自ら警察に逮捕された村瀬と、彼の正体を追う元特攻隊員の刑事・落合という二人の男の挫折物語です。彼らは、日本の社会構造や権力、そして人間の心の闇を深く抉る、複雑な関係性を持ちます。

物語の背景と主人公たち

物語は、昭和30年代後半の日本を舞台に、大学在学中に共産党に入党し、山村工作隊や火炎瓶闘争にも参加した村瀬の激動の人生を描きます。党の方針に反発し除名された村瀬は、過激なテロ活動に身を投じ、やがて金融機関襲撃や殺人事件にまで手を染めます。逃亡生活の中で、愛人との子供を捨てるなど、非情な一面を見せる一方で、底知れない虚無感に苦しみます。

一方、落合は戦後社会に適応できず、特攻隊の経験を引きずりながら、長年刑事として勤務する男です。彼は村瀬を単なる強盗容疑者としてではなく、何か深い闇を秘めた人物として捉え、執拗に捜査を進めます。

テロリストと刑事の対峙

村瀬は、過去の罪を暴かれ、徹底的に裁かれることを望んで自首したように見えます。しかし、落合の捜査によって、村瀬の関与した事件の全貌が明らかになるにつれ、事件の裏には権力犯罪が潜んでいることが示唆されます。警察内部にも内通者がおり、最初から事件は警察に筒抜けだったのです。

落合は、事件の真相に迫るにつれて、上司や検察庁から圧力をかけられます。彼自身の戦後への葛藤も、昇進や婚約という人生の転機の中で風化し始めていきます。

事件の結末と「日本の悪霊」

裁判では、村瀬は予想に反し、無罪判決を受けます。この判決は、村瀬のみならず落合にも衝撃を与えます。事件は謎のままに終わり、解決しないまま、村瀬は妹と再会しようとした瞬間、交通事故に遭います。

小説のタイトル「日本の悪霊」は、村瀬と落合の葛藤、権力による闇の隠蔽、そして何よりも、全ての出来事を風化させてゆく日本の社会構造そのものを指していると言えるでしょう。それは、人々の思想や運動を無力化し、日常の中に溶け込ませる、捉えどころのない存在です。

映画化

昭和45年、黒木和雄監督、佐藤慶主演で映画化されました。しかし、映画の内容は原作とは大きく異なり、ヤクザと刑事の入れ替わり物語としてコメディタッチにアレンジされています。原作の持つ重厚な社会批判や心理描写は薄れ、異なる解釈がなされています。

作品の解釈

『日本の悪霊』は、単なる犯罪小説ではなく、戦後日本の社会構造、政治、そして人間の心の闇を深く探る作品です。様々な批評家が、村瀬の行動原理、落合の葛藤、そして「日本の悪霊」の意味について、多角的な解釈を試みています。その解釈は、現代社会を読み解く鍵ともなりうる、複雑で奥深いものです。

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