書斎の聖アウグスティヌス (ボッティチェッリ、オニッサンティ教会)

『書斎の聖アウグスティヌス』：ボッティチェッリが描く聖人の幻視

サンドロ・ボッティチェッリが1480年頃に制作したフレスコ画『書斎の聖アウグスティヌス』は、ルネサンス期のフィレンツェを代表する作品の一つです。この作品は、聖アウグスティヌスが書斎で聖ヒエロニムスからの啓示を受けるという、有名な逸話を題材としています。現在もフィレンツェのオニッサンティ教会に所蔵されており、対となるドメニコ・ギルランダイオの『書斎の聖ヒエロニムス』と共に、ルネサンス美術における重要な作品として知られています。

作品の主題と構成

この絵画は、聖アウグスティヌスが遠方にいる聖ヒエロニムスに手紙を書いている最中の出来事を描いています。手紙の内容は、三位一体に関する論考についての意見を求めるものでした。しかし、その時ヒエロニムスは死の床にあり、アウグスティヌスが手紙を書き始めたまさにその時、幻視としてヒエロニムスの声が聞こえてきます。「アウグスティヌスよ、あなたが今考えていることは、大海の水を小さな瓶に詰めようとするようなものだ。」と。この場面をボッティチェッリは、アウグスティヌスがペンを置き、胸に手を当てて上を見上げる姿で表現しました。聖人の額を照らす光は、啓示を象徴しています。

絵画の背景には、聖アウグスティヌスの書斎が描かれており、机の上には司教冠や渾天儀、書棚には貴重な書物が並んでいます。これらのアイテムは、聖アウグスティヌスが学者であり、ルネサンス期の人文主義の先駆者であったことを示唆しています。また、画面右上の時計は日没の時間を示しており、この場面が特定の瞬間を描写していることを表しています。

制作背景とヴェスプッチ家

ボッティチェッリはこの作品を、オニッサンティ教会の近くに住んでいたヴェスプッチ家からの依頼で制作しました。ヴェスプッチ家は、メディチ家の同盟者であり、アメリカ大陸の名前の由来となったアメリゴ・ヴェスプッチを輩出した名家です。ボッティチェッリ自身もこの地域で生まれ育ち、オニッサンティ教会は彼にとって特別な場所でした。この絵画は、ヴェスプッチ家の紋章が描かれていることからも、彼らの庇護のもとで制作されたことがわかります。

また、この作品はドメニコ・ギルランダイオの『書斎の聖ヒエロニムス』と対になる形で制作されました。二人の画家は、同じテーマで競作するという状況下で、それぞれの才能を遺憾なく発揮しました。この競作は、ボッティチェッリにとって大きな刺激となり、彼の芸術性を高める原動力になったと考えられます。

作品の特徴と詳細

ボッティチェッリは、聖アウグスティヌスの内面的な感情を繊細に表現しています。彼の額には緊張による皺が刻まれ、神秘的な光に照らされています。この光は、ヒエロニムスの啓示を具象化したものです。また、書斎の様子は非常に写実的に描かれ、机の上のアイテムや書物の質感まで、丁寧に描写されています。特に注目すべきは、画面右上に置かれた開かれた書物に描かれた文字と図形です。そこには、「マリアーノ修道士はどこにおられる？」「ちょっとお出かけになっておられます」「どこへ？」「プラート門の町の外におられます」という、二人の修道士の会話が書き込まれています。これは、当時教会を運営していたウミリアーティ修道会の修道士の逸脱行為を風刺したものと解釈されています。この点からも、ボッティチェッリが単なる聖人画ではなく、当時の社会的な風刺を込めて描いたことがわかります。

作品の評価と後世への影響

『書斎の聖アウグスティヌス』は、ボッティチェッリの現存する最古のフレスコ画であり、彼の最高傑作の一つとされています。その力強い聖人像は、アンドレア・デル・カスターニョの影響を受けていると言われていますが、同時に、当時のボッティチェッリの精神的な危機感が表現されているとも指摘されています。この作品は、翌年にボッティチェッリがシスティーナ礼拝堂の装飾事業に招聘されるきっかけともなり、彼の名声を確立する上で重要な役割を果たしました。また、対作品であるギルランダイオの『書斎の聖ヒエロニムス』と比較すると、ボッティチェッリは単に型にはまるのではなく、物語性を加えた独自の手法で描いたことが分かります。この作品は、ルネサンス美術の傑作として、現在も多くの人々を魅了し続けています。

作品の来歴

この作品は、オニッサンティ教会の聖歌隊席の入口の壁を飾るために制作されましたが、聖歌隊席の取り壊しに伴い、1564年から1566年にかけて壁から切り離され、身廊に移されました。1966年のアルノ川の洪水でわずかに被害を受けましたが、修復を経て現在も教会の食堂で展示されています。最初の移動の際に、額縁の一部が失われたことが記録されています。

参考文献

『西洋絵画作品名辞典』黒江光彦監修、三省堂（1994年）
バルバラ・ダイムリング『ボッティチェッリ（ニューベーシック・アートシリーズ）』 タッシェン（2001年）
ブルーノ・サンティ『ボッティチェッリ イタリア・ルネサンスの巨匠たち14』関根秀一訳、東京書籍（1994年）
Legouix, Susan, Botticelli, 2004 (revd edn), Chaucer Press, ISBN 1904449212
Lightbown, Ronald, Sandro Botticelli: Life and Work, 1989, Thames and Hudson

外部リンク

オニッサンティ教会公式サイト

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