杉常道

杉 常道（すぎ つねみち）

江戸時代後期の長州藩士、杉常道は、文化元年（1804年）に生を受け、慶応元年（1865年）頃にその生涯を終えた武士です。幕末という激動の時代にあって、日本の行く末に大きな影響を与えた思想家であり教育者である吉田松陰、明治維新後、官僚として新国家建設に貢献した杉民治、そして松陰の妹として知られ、後に群馬県令楫取素彦の妻となった美和子など、歴史に名を残す子供たちの父として後世に記憶されています。

常道は、無給通組士であった父、杉常徳（七兵衛）の子として生まれました。杉家は下級武士の中でも比較的位は高かったものの、家禄はわずか26石という極めて貧しい家でした。文政7年（1824年）に家督を相続し、翌年には児玉太兵衛の養女と結婚して家庭を築きましたが、武士としての収入だけでは家族を養うことができず、自ら畑を耕すなど農業にも従事しながら、七人の子供たちを育て上げました。子供たちの中には、三男の敏三郎のように、言葉を話すことが難しい子もおり、子育てには大変な苦労が伴いました。

藩士としての職務も務めました。天保3年（1830年）には記録御次番役となり、翌年には呉服方を担当するなど、藩内のいくつかの役職を経験しています。

杉家にとって大きな出来事の一つに、弟・吉田大助の死去がありました。吉田家は杉家よりも家禄が高く（57石）、比較的裕福な家でした。天保6年（1835年）、大助が亡くなった際、常道は次男である寅之助、すなわち後の吉田松陰を吉田家の養子とし、その家督を相続させました。この養子縁組により、幼い寅之助は吉田家の家塾で恵まれた環境のもと、学問を深く修める機会を得ることとなります。

常道と松陰の関係は、単なる父子という枠を超え、師弟としても特別なものでした。安政元年（1855年）、松陰が海外渡航を企てて失敗し、江戸から長州へ送還されると、まず実家である常道宅に預けられ、自宅での蟄居謹慎が命じられます。この蟄居期間中、松陰は父である常道やその他の近親者に対し、『孟子』や『武教全書』といった書物を講義しました。常道は父でありながら、この時息子から熱心に学び、強い感銘を受けたといいます。これは、松陰の思想や情熱が、肉親である常道にも深く影響を与えたことを示しています。

翌安政2年（1856年）、松陰の蟄居処分が解かれると、彼は自身の自宅である杉家の一部に私塾「松下村塾」を開きました。この時、常道は長男の修道（梅太郎）と共に、松下村塾の最初の門下生の一人となりました。高齢である父が、息子が開いた塾で学ぶという、当時としては非常に珍しい光景が見られました。常道は、息子から新しい知識や時代認識を積極的に吸収しようと努めたのです。

しかし、松陰の革新的な行動は藩内で常に波紋を呼び、その生涯は波乱に満ちたものとなりました。安政6年（1859年）5月、松陰は老中・間部詮勝の暗殺計画に関与した疑いにより、江戸へ護送され、同年10月には刑場の露と消えます。愛する息子を喪った常道の悲しみは計り知れないものでした。この松陰の死の影響を受け、常道は藩職を罷免されることとなります。

万延元年（1860年）、常道は家督を長男の修道に譲り、隠居の身となります。しかし、長州藩は続く動乱の中で再び常道の経験と能力を必要としました。文久3年（1863年）、彼は藩の重要な政務を担う国相府の内用方に任じられ、さらに盗賊改方も兼務するなど、精力的に職務を果たしました。

長州藩が倒幕運動の中心となっていく激動の中、慶応元年（1865年）3月、常道は全ての藩職を辞しました。そして、その年のうちに静かにこの世を去ったとされています。享年62歳でした。

杉常道の生涯は、吉田松陰という偉大な人物の父として語られることが多いですが、彼自身もまた、極貧に耐えながら家族を懸命に支え、息子から新しい時代の思想を学び、そして藩士として最後まで職務に尽くそうとした、幕末という激動の時代を生きた一人の武士の姿を示しています。その人生は、NHK大河ドラマ『花神』（1977年）や『花燃ゆ』（2015年）でも描かれ、現代にその足跡が伝えられています。

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