柘植秀臣

柘植 秀臣（つげ ひでおみ）は、1905年9月10日に東京府（現在の東京都）に生まれ、1983年5月4日にその生涯を終えた日本の大脳生理学者です。

東北帝国大学理学部生物学科を1929年に卒業後、脳生理学の研究に従事しました。その学術的な功績の一つとして、1938年には東北大学より理学博士号を取得しています。博士論文のタイトルは「下等脊椎動物の脳髄の実験的比較組織学的研究」であり、脊椎動物の初期段階における脳の発達や構造に関する比較組織学的研究の成果を示したものです。

彼のキャリアは、純粋な科学研究の枠を超え、当時の社会情勢とも深く関わっていました。1937年から1938年にかけて、新城新蔵が主宰していた上海自然科学研究所に嘱託研究員として招聘され、研究に携わりました。この上海での経験を契機に、彼は中国の社会や文化、政治に対する強い関心を持つようになります。帰国後の1938年には、友人の尾崎秀実の紹介もあり、国家政策の研究機関として設立されたばかりの東亜研究所に入所しました。ここでは、中国問題を専門とする研究者として活動しました。

太平洋戦争が開戦すると、日本軍の占領下に入ったジャワ島へ派遣され、軍政監部の要請に基づき実施された占領地調査において中心的な役割を果たしました。戦時下の占領地における状況把握や研究という、独特な経験を積むこととなります。

第二次世界大戦終結後は、民主主義科学者協会（民科）の幹部として活動し、戦後の民主的な科学の発展に貢献しました。また、この時期には、ソビエト連邦における生理学、特にイワン・パブロフを中心とする条件反射研究の成果を日本に紹介する活動にも力を入れました。ソヴィエト条件反射選書のような重要な著作群の翻訳や刊行に携わり、日本の科学界に新しい視点をもたらすことに貢献しました。

学術・教育機関においても重要なポストを歴任しました。中央労働学園大学教授、法政大学社会学部教授として教鞭をとり、多くの後進を指導しました。さらに、1974年には日本精神医療センター脳研究所長に就任し、脳研究の第一線で活躍しました。

柘植秀臣の著作は多岐にわたります。脳生理学に関する専門書はもちろん、中国問題に関する考察、戦時中の自身の経験を綴った回顧録、そしてソ連科学に関する入門書や翻訳など、彼の幅広い関心と経験を反映した著作を残しています。

主な著書には以下のようなものがあります。

『実験神経学 実験生物学集成第6』養賢堂 1935年
『戦争と死と人間』伊藤書店 1949年
『科学は平和を求めて ソ連・中国科学紀行』大日本雄弁会講談社 1954年
『わが内なる中国』亜紀書房 1971年
『ある脳研究者の履歴 脳の神秘を求めて』雄渾社 1973年
『条件反射とはなにか パヴロフ学説入門』講談社 (ブルーバックス) 1974年
『中国 科学と医療の諸相』恒星社厚生閣 1977年
『東亜研究所と私 - 戦中知識人の証言』勁草書房 1979年
『私と民科 - 戦後一科学者の歩み』勁草書房 1980年

共編著や翻訳書も多数手掛け、特にソ連の科学書の紹介に尽力しました。

『生物の辞典』（谷田専治、永野為武共編）岩崎書店 1956年
『日本産魚類脳図譜』（内橋潔、島村初太郎共著）築地書館 1968年
『進化と条件反射 反射活動から認識活動へ』（共著）恒星社厚生閣 1971年
『自然と生命』（ホワイトヘッド著、永野為武共訳）三省堂 1939年
『パヴロフ その生涯と業績』（E.A.アスラチャン著、丸山修吉共訳）岩波新書 1955年

脳生理学者としての探求心を持ちながらも、激動の時代において中国やソビエト連邦といった当時の国際情勢と向き合い、社会的な活動や教育にも深く関わった人物であり、その足跡は日本の近現代史を理解する上でも示唆に富んでいます。

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