武田長兵衛

「武田長兵衞（たけだ ちょうべえ）」は、武田薬品工業株式会社の礎を築いた武田家において、当主が受け継いできた由緒ある名称です。この名前は、会社の黎明期から現代に至るまでの事業展開と深く結びついており、歴代の長兵衞たちがそれぞれの時代において重要な役割を果たしました。

初代 武田長兵衞

武田薬品工業の創業者である初代武田長兵衞は、1750年（寛延3年）に大和国薬井村（現在の奈良県北葛城郡河合町薬井）に生まれました。幼名は長三郎といい、竹田徳兵衞の次男でした。6歳で大阪・博労町の綿商、河内屋武兵衛の養子となりますが、14歳で養父を亡くします。その後、大阪・道修町で薬種商を営む近江屋喜助のもとで丁稚奉公を始めます。その勤勉さが認められ、24歳で住み込みから通い番頭となり、名を長兵衞と改めました。さらに28歳で、病弱な主家の一族である近江屋平兵衞の代判（事業代行者）に選ばれます。主家は不正事件に連座して営業権を失いますが、長兵衞の長年の誠実な働きぶりを評価した主人の尽力により、仲間株（営業権）を取得することができました。そして、1781年（天明元年）6月12日、32歳となった長兵衞は、大阪・道修町二丁目の堺筋角に薬種仲買商を開業し、ついに独立を果たします。この日が、現在の武田薬品工業の創業記念日とされています。武田がかつて近江屋と呼ばれたことがあるため、近江商人の出身と誤解されがちですが、これは奉公先の屋号であり、初代自身は大和国の出身です。

二代目 武田長兵衞

二代目は、初代の後を継ぎ、薬種仲買業を営む傍ら、大名への貸付（大名貸し）によって大きな財を築きました。

三代目 武田長兵衞

三代目は、単に商売を行うだけでなく、人間としての生き方と商いの真実を追求しました。その思想は「仕法書」や「取締書」、「十ヵ年倹約之事」といった家憲や経営方針として定められ、後世に引き継がれました。

四代目 武田長兵衞

四代目は、1845年（弘化元年）に、三代目の代判を務めていた近江屋長三郎の三男として道修町で生まれました。幼名は亀蔵です。10歳で京都の薬種商に奉公した後、本家に戻り、跡継ぎがいないまま病死した三代目の後を継ぐため、未亡人に選ばれ四代目長兵衞を襲名しました。襲名時は17歳と若かったため、慣例により代判が置かれました。幕末の激動期に家業を継いだ四代目は、混乱の中で従来の経営を維持する困難に直面しながらも、顧客を増やしました。しかし、度重なる御用金や上納金の徴収により、経営は厳しさを増します。25歳で明治維新を迎えた四代目は、時代の変化に合わせて徐々に洋薬の取り扱いを増やし、それまでの和漢薬と洋薬の並行体制から、最終的には洋薬一本に事業の軸を移しました。1871年（明治4年）の戸籍法公布を機に、近江屋長兵衞から武田姓を名乗るようになります。横浜の近江屋嘉兵衛（友田嘉兵衛）からの洋薬仕入れを拡大し、取引高を大きく伸ばしました。四代目は困難な時代を乗り越え、堅実な経営を旨としつつ、洋薬輸入に積極的に着目することで、今日の武田の基盤を確立した人物と言えます。長男に家督を譲った後は長四郎と名乗り、1924年（大正13年）には緑綬褒章を受章しています。

五代目 武田長兵衞

五代目は、1871年（明治3年）に四代目の長男として生まれました。幼名は重太郎です。13歳頃から薬品の準備や荷造りなどを手伝いながら、漢字や英語を学びました。19歳で横浜・東京へ出張し、外国商館を巡って薬種貿易について見聞を広め、その交渉記録を克明に残しています。和漢薬種商から洋薬商への転換・発展を早期から志し、1895年（明治28年）には大阪府大阪市北区の内林製薬所を武田専属工場として経営を開始し、医薬品の国産化という長年の願いへの第一歩を踏み出しました。1904年（明治37年）12月に五代目を相続した頃は日露戦争中でしたが、家業は順調に発展しました。1907年（明治40年）には武田薬品試験部を創設して高品質な医薬品提供に努め、さらに1914年（大正3年）に武田研究部、1915年（大正4年）に武田製薬所を設立し、日本薬局方の製造や新薬の研究開発に全力を注ぎ、武田の基礎を築き上げました。1925年（大正14年）には株式会社武田長兵衞商店を設立し、事業を大きく発展させました。社名は1943年（昭和18年）に武田薬品工業と改称されています。長男に長兵衞の名を譲った後は和敬と名乗り、和敬翁と呼ばれました。1959年（昭和34年）8月4日、90歳で逝去しました。五代目は、家業を大きく発展させた功労者であり、事業研究に必要な投資を惜しまず、文化事業への寄付も行うなど、多くの功績を残しました。武田は創業以来、聖徳太子の十七条憲法を基調とし、「事業は人なり、しかも人の和なり」を掲げており、五代目の時代に社是「規」（のり）が明文化され、「公（おほやけ）に向ひ国に奉ずるを第一義とすること」などが記されました。また、五代目は武田家の家訓として「運・根・鈍」の言葉を大切にしたことでも知られています。明治から大正にかけて、大阪においては武田長兵衞商店（現在の武田薬品工業大阪本社）が、塩野義三郎商店、大阪製薬、田邊五兵衛商店などと共に、輸入洋薬市場において重要な地位を占めていました。

六代目 武田長兵衞

六代目は、五代目の長男として1905年に大阪市で生まれ、幼名は鋭太郎でした。慶應義塾高等部を卒業後、1943年（昭和18年）に武田長兵衞商店が武田薬品工業と改称するのに合わせて社長に就任し、六代目長兵衞を襲名しました。社長在任中は経営の多角化と近代化を積極的に推進し、特に1954年（昭和29年）に発売されたビタミンB1主薬製剤「アリナミン」の大成功により、武田薬品工業を日本の製薬業界のトップへと押し上げました。1974年（昭和49年）、創業以来初めて武田家以外の人物（従弟の小西新兵衛）に社長職を譲り、自身は会長に就任しました。紺綬褒章（1948年）、藍綬褒章（1962年）、勲二等旭日重光章（1976年）など、多くの褒章を受章しています。

七代目の継承について

六代目の長男で、副社長を務めていた武田彰郎は、社長就任と同時に七代目を襲名する予定でした。しかし、就任予定の前年である1980年（昭和55年）2月、急逝してしまいます（六代目も同年に死去）。当時の社長であった小西新兵衛は、六代目の三男である國男を後継者として指名しました。國男は1993年に社長に就任しましたが、長兵衞の名は襲名しませんでした。これにより、「武田長兵衞」という名跡の継承は、六代目をもって一時的に途絶えることとなりました。

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