母性本能

母性本能とは何か

母性本能は、広義には生物の母親が種として共通して持つ繁殖に関する行動を指す本能です。狭義には、未熟な状態で生まれ、親の保護なしには生き残れない生物の雌親に見られる養育行動を指します。

しかし、「母性本能」という言葉は通俗的に使われることが多く、その定義は非常に曖昧です。例えば、「自分の命よりもわが子の命を優先する」といった極端な行動原理として用いられることもありますが、これは進化における個体の多様性を無視した極論と言えるでしょう。

生物学的な視点

現代生物学では、「本能」という言葉は「衝動」と表現され、具体的な「本能行動」は「生得的行動」と呼ばれることが一般的です。心理学においても、「本能」という言葉を説明概念として用いることはありません。

生物学者が「本能的」という場合でも、それが遺伝的に決定されている、固定的である、学習や経験の影響を受けないという意味ではありません。生物の行動は、遺伝と環境の両方の影響を受けているのが普通です。

子育て

母性本能の典型と見なされるのは子育てです。子育ては鳥類や哺乳類に見られますが、魚類、両生類、爬虫類、昆虫などにも見られます。哺乳類の子育ては学習や経験の影響を受けることが多く、例えば、針金で作られた「母親」に育てられたサルは、自分が母親になった後、自分の子を育てることができませんでした。

チンパンジーのメスは、他の母ザルから食糧と引き換えに仔を受け取り抱かせて貰うことがあります。これは子育ての練習をしていると考えられています。ヒトを含む群居性の動物では、複数個体が共同で子育てを行うこともあります。

自己犠牲

一般的に、一人の子（または巣内の子たち）の命と引き替えに自己犠牲する母親は非常にまれです。自己犠牲的な行動は、すでに繁殖年齢が終わった母親や、生涯に一度だけ繁殖を行う生物に見られます。例えば、カバキコマチグモは、子が母親の体を食べます。

非保護的な母性行動

母親は常に自分の子に尽くすわけではありません。例えば、マウスは妊娠中のメスが配偶相手ではないオスの匂いをかぐと自然流産することがあります。また、海鳥は複数の卵を産み、年少の子は年長の兄弟によって殺されることがあります。このような行動は、子育てに適していない状況では子育てを諦め、次の機会を待つ方が適応的であるためです。

生理的な反応

子育てを促す情動は自然に発生するとは限りません。例えば、乳児の泣き声を耳にすることにより、母親本人の意思に反しても「乳房が張る・乳が噴出する」等の反応が起きます。これらの行動や反応は女性ホルモンと関連しており、プロラクチンは乳腺発育の促進や母性行動の誘導に関与しています。

母性の進化

進化的な視点では、母性行動は繁殖戦略の一部です。母親は、子育てをすることで生き残る子の数を増やせるときにはそうしますが、現在の子を犠牲にして将来の繁殖成功に賭ける場合もあります。母親は、父親とは異なる繁殖戦略を持つ柔軟な意思決定者と見なされます。

一般的にオスよりもメスが子へ強い関心を示すように進化した理由は、繁殖行動のタイミング、親の投資の非対称性、父性の確実性などが考えられます。

社会的な視点

ヒトの本性に関する議論と社会的な含みを切り離すことは難しいです。サラ・ハーディは、ヒトが共同保育を行う種として進化し、母親個人の養育能力を越えた無力状態で赤ん坊は生まれると主張しています。また、長谷川真理子の研究は、母親が経済的な困難に追い込まれたときに子殺しが増えることを示唆しています。これらの研究は、母親だけに養育を任せたり、母親を経済的に困窮させれば子育てがうまくいかない可能性を示しています。

フェミニズム上の観点

フェミニズムで母性本能に言及されるとき、それは母性に生得的な、あるいは“期待される”子を守る行動や衝動をまとめて呼ぶものです。ヒトの場合、出産直後には子供に愛着を感じないこともあります。育児行動が積み重なることで、母性本能のうち「感情に属する部分」が高まってくるとも言われ、それを単純に母性本能という表現で「すべて生得的である」とまとめることには、大きな問題があります。

こども家庭庁の見解

こども家庭庁は「養育に必要な脳や心の働きは男女差なく経験で育つ」と解説しています。

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