江都駿河町三井見世略図

葛飾北斎による名所浮世絵シリーズ『冨嶽三十六景』の中に、「江都駿河町三井見世略図」という作品があります。この作品は、現在でいう東京都中央区日本橋室町、かつて駿河町と呼ばれた地域を描いたものです。

駿河町は、その名の通り、正面に富士山を望む景観から名付けられた場所でした。この地に当時、呉服商として圧倒的な存在感を示していたのが三井越後屋（現在の三越の前身）です。三井越後屋は、画期的な販売方法として店頭販売や現金取引を導入し、莫大な利益を上げていました。一日に千両もの利益を上げたという逸話も残っており、当時の駿河町を描いた浮世絵には、ほぼ必ず三井越後屋が登場するほど、その知名度は絶大でした。

北斎もこの三井越後屋を作品に取り上げていますが、単に建物を描くのではなく、独自の解釈を加えています。彼は、三井越後屋の屋根と富士山を大胆に配置することで、他の画家の作品とは一線を画す構図を作り出しました。実際には建物の屋根の向きは富士山に対して直角でしたが、北斎は富士山との対比効果を高めるため、意図的に90度回転させて描いています。この大胆なアレンジによって、作品に独特のダイナミズムと奥行きが与えられています。

さらに注目すべきは、絵の中に描かれている瓦職人の作業風景です。北斎は、瓦職人を取り上げた作品を他にも残しており、『冨嶽三十六景』の「東都浅草本願寺」や『東遊』の「駿河町越後屋」などが知られています。三井越後屋は文政12年（1829年）に火災で焼失しましたが、その後再建されました。このことから、北斎が普請中の三井越後屋を見て、瓦職人の作業風景を作品に取り入れた可能性が考えられます。

また、絵の中に揚げられた凧には「壽」の文字が見られます。これは、北斎作品の版元であった西村屋与八の屋号「永寿堂」に由来するものではないかと推測されています。このように、一見すると単純な街並みの描写に見える「江都駿河町三井見世略図」ですが、北斎の細やかな観察眼と、大胆な構図の工夫、そして当時の社会情勢への深い理解が凝縮された、非常に奥深い作品なのです。富士山と、近代的な商業都市の象徴である三井越後屋、そして人々の営みが一つになったこの作品は、江戸時代の活気に満ちた都市の姿を鮮やかに伝えています。北斎の卓越した芸術性と、歴史的背景を理解することで、この作品の魅力はさらに増すことでしょう。

参考文献

日野原健司『富嶽三十六景』岩波書店、2019年。ISBN 978-4-00-335811-5。
磯崎康彦「北斎の風景・風俗版画」『福島大学人間発達文化学類論集』34巻、福島大学人間発達文化学類、2021年、124-109頁。http://hdl.handle.net/10270/5478。
『版画芸術』203巻、阿部出版、2024年。ISBN 978-4-87242-579-6。

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