泉のニンフ

『泉のニンフ』は、ドイツ・ルネサンス期の画家ルーカス・クラナッハ（父）が、油彩で描いた絵画です。この作品は、クラナッハが1510年代から繰り返し描いた「泉のニンフ」を主題とする作品群の後期に属します。現在は、ワシントンのナショナル・ギャラリーに所蔵されており、クラナッハの描く裸婦像の中でも特に重要な作品の一つとされています。

クラナッハは、ジョルジョーネの『眠れるヴィーナス』に代表される、横たわる裸婦の表現を、「泉のニンフ」というテーマでアルプス以北の絵画に取り入れました。初期の作品では、古代の規範に忠実に、豪華な噴水を背景に、凝ったポーズで描かれていましたが、この作品では、より自然な泉のほとりで、休息する女性の姿が描かれています。

画面中央には、服を脱ぎ捨てた女性が、半ば目を閉じ、泉の前に横たわっています。彼女のプロポーションは、古代彫刻のような理想化されたものではなく、ゴシック的な特徴を示しています。頭の下には赤いビロードの衣服が敷かれ、身体には装飾品がつけられており、これらは16世紀のドイツの宮廷女性を思わせます。一方、彼女を覆う透明なヴェールは、官能性を強調し、鑑賞者の欲望を刺激します。画面左下には、ラテン語の銘文が記されており、「私は聖なる泉のニンフ。私は憩う。私の眠りを妨げることなかれ」とあります。この銘文は、鑑賞者に対し、ニンフの眠りを妨げないよう、自身の欲望を抑制することを促しています。

画面右端の樹木には、矢と矢筒が吊り下げられ、その下にはヤマウズラのつがいが描かれています。これらの要素は、狩猟の女神ディアーナの存在を暗示しています。ディアーナはニンフたちに、決して裸を人に見せてはならないと命じていました。矢は、キューピッドの矢、つまり愛の象徴であるとともに、ヤマウズラは、狩猟の表徴であると同時に、性の奔放さの象徴としても解釈できます。このように、クラナッハは、この作品においても、他の作品と同様に、道徳的なメッセージを込めています。この絵画は、洗練された鑑賞者の目と感覚を楽しませるだけでなく、より深い思慮へと誘う警告としても機能しているのです。

クラナッハは、生涯にわたり「泉のニンフ」を繰り返し描きましたが、この作品は、その中でも後期の傑作とされています。古代の美の理想と、16世紀の宮廷文化、そして道徳的な警告を巧みに融合させた、クラナッハの芸術性が最もよく表れている作品と言えるでしょう。

参考文献

『クラーナハ展500年後の誘惑』、国立西洋美術館、ウィーン美術史美術館、TBS、朝日新聞社、2016年刊行　ISBN 978-4-906908-18-9

外部リンク

ナショナル・ギャラリーワシントン公式サイト、ルーカス・クラナッハ『泉のニンフ』 (英語)

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