泗川海戦

文禄元年5月29日（西暦1592年 7月8日）、朝鮮半島の南岸に位置する泗川湾において、文禄の役中の一戦である泗川海戦が行われました。「泗川浦海戦」とも呼ばれます。

この戦いは、日本側には記録が残されておらず、その詳細や存在そのものについても不明な点が多いのが現状です。朝鮮側には複数の史料に記述が見られ、特に李舜臣自身による報告とされる『唐浦破倭兵状』と、その甥である李芳が記した『行録』がよく知られています。これらの史料はいずれも『李忠武公全書』に収められていますが、同じ海戦を描写していながらも、具体的な描写には相違が見られます。

朝鮮側史料による描写

『唐浦破倭兵状』

玉浦海戦などを成功させた李舜臣率いる朝鮮水軍は一旦撤収しましたが、日本水軍は追撃せず、陸路と海路を並行して西方へ進出を続けていました。朝鮮側は日本軍のさらなる進出を予測していましたが、予想より早い5月27日、元均（慶尚右水使）の根拠地に近い泗川に日本軍が現れたとの報が入り、元均は陣を露梁に移しました。

5月29日、全羅左水使であった李舜臣は予定を繰り上げ、配下の板屋船23隻と、虞候の李夢亀が指揮する亀甲船を率いて出撃しました。全羅右水使の李億祺には連絡がつかず、露梁沖で元均の板屋船3隻と合流。さらに東進して泗川へ向かう途中で日本船1隻に遭遇し、これを追跡した李純信（防踏僉使）と奇孝謹（南海県令）らは、湾口で敵船が浜辺に遺棄されたためこれを焼き払いました。

そこから泗川船倉を望むと、連なる山並みの7、8里先にある険しい場所に、約400名の日本軍が長蛇の陣を敷き、紅白の旗を掲げていました。山頂には指揮所と思われる陣営があり、岸壁の下には楼閣を備えた日本船12隻が停泊していました。

朝鮮水軍は敵陣へ突入を試みましたが、敵陣は矢の射程外であり、潮が引いていたため大型の板屋船での操船が困難になる恐れがありました。また、日本軍が高地に陣取っていたため射撃戦でも不利であり、さらに日暮れも近づいていたため、李舜臣は一旦退却を指示し、偽装退却によって敵を湾の奥へ誘い出す作戦を採りました。約1里ほど後退すると、日本軍の半数にあたる約200名が陣地から出てきましたが、李舜臣の策略には乗らず、そのうち約100名が船を守り、残りの約100名が岸上から銃撃するに留まりました。この状況に対し、李舜臣は応戦しないままでは臆病と思われかねないと危惧しました。その時、潮の流れが変わり、操船に適した水位に戻ったため、李舜臣は反転して突入を決意しました。

李舜臣は、かねてより倭寇との戦いに備えて準備させていた亀甲船を初めて実戦投入することにし、これを先頭にして砲を放ちながら岸へ迫り、停泊する日本船団に突入していきました。山頂、岸、そして船を守っていた日本軍は鉄砲で応戦。激しい銃撃戦の中、李舜臣は左肩に銃弾を受け負傷しました。しかし、兵力差もあり、日本軍は高地へ退却しました。朝鮮水軍は残された日本船を全て焼き払いました。日が暮れた後、数隻の小船を残して撤収し、泗川地毛自郞浦に停泊しました。

『行録』

『行録』によれば、5月29日、李舜臣は白髪の老人の夢を見て、これを日本軍が来る予知夢と考え、諸将に出撃を命じました。露梁海峡へ進出すると日本軍の船舶に出くわしましたが、朝鮮水軍の大艦隊を見て日本軍は退却。朝鮮水軍はこれを追跡して泗川に至り、敵船13隻を焼き討ちしました。戦闘では弓矢を受けて水に飛び込んだ敵兵約100名が溺死したとされています。この戦闘で李舜臣は左肩に被弾し、流血が踵まで滴るほどの重傷を負いましたが、そのまま指揮を続けました。戦後、治療のためにナイフで負傷箇所を割いて弾丸を取り出した際、周囲は将軍が負傷していたことに初めて気づいて驚きましたが、李舜臣は談笑していたと伝えられています。また、この戦いを機に、朝鮮では敵を殺した証拠として左耳を切り取る習慣がありましたが、今後の戦闘では射殺のみで耳を切り取らないことになったと記されています。

評価

泗川海戦は玉浦海戦と比べても小規模な戦いであったと考えられており、李舜臣が行った数多くの遊撃戦の一つと位置づけられます。『唐浦破倭兵状』に記された日本兵の約200名や約400名という数は、板屋船数隻の乗員数に相当する程度であり、両軍には少なくとも10倍以上の兵力差（朝鮮側が圧倒的に優位）があったと推測されています。この海戦が特に注目されるのは、先述のように朝鮮側史料に亀甲船の初投入が記されているためです。日本側の記録に全く言及がないことから、この規模の戦闘が特筆されなかった可能性も考えられますが、そもそも大規模な主戦線での戦いではなかったと言えます。しかしながら、当時文禄の役の主戦線では日本軍が開城を無血占領するなど、朝鮮側は連戦連敗を喫しており、そのような状況下では、朝鮮側にとってこのような小さな勝利も士気を維持する上で重要な意味を持っていたと考えられます。

参考文献

- 北島万次『秀吉の朝鮮侵略と民衆』岩波新書、2012年
- 徳富猪一郎『近世日本国民史豊臣氏時代丁篇朝鮮役上巻』第7、民友社、1935年
- 朝鮮史編修会（漢文調）『朝鮮史. 第四編第九巻』朝鮮総督府、1937年

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