浜松事件 (連続殺人事件)

浜松事件

浜松事件は、1941年（昭和16年）8月18日から1942年（昭和17年）8月30日にかけて、静岡県浜名郡（現・浜松市）で発生した連続強盗殺人事件です。

事件概要

犯人は、浜松聾啞学校中等部1年の中村誠策（逮捕時満19歳）でした。彼は1年間にわたり、自宅を含む4ヶ所で犯行を繰り返し、9人を殺害、6人に重軽傷を負わせました。中村は1944年（昭和19年）6月19日、大審院で上告を棄却され死刑判決が確定し、同年7月24日に死刑が執行されました（満20歳没）。

静岡県警察本部は本事件を「わが国犯罪史上まれにみる凶悪事件」と評しています。地元住民には極度の恐怖を与え、竹槍や棍棒での武装、自警団の組織といった動きも見られました。また、事件の解決に際しては、後に数々の冤罪事件を生み出した刑事の紅林麻雄が功労者として表彰され、彼の出世のきっかけともなりました。

本事件は、静岡県の十七人殺傷事件、聾啞者の大量殺人事件、浜松の聾啞青年大量殺人事件などとも呼ばれます。

事件の詳細

発端

中村誠策は、金銭欲から強盗強姦殺人を目的として、1938年（昭和13年）8月21日深夜、14歳で芸妓屋「武蔵屋」を襲撃し、2人に重軽傷を負わせました。この事件は発覚しませんでしたが、この経験が彼の凶行の原点となります。その後、1940年（昭和15年）9月には、小遣い不足を理由に再び強盗殺人計画を立てています。

連続殺人

1941年（昭和16年）8月18日深夜、中村は芸妓屋「和香松」を襲撃し、1人を殺害、1人に重傷を負わせました（第一事件）。その2日後、8月20日深夜には芸妓屋「菊水」を襲撃し、3人を殺害（第二事件）。9月27日深夜には、自身の家族を標的に、兄を殺害し、5人に重軽傷を負わせました（第三事件）。さらに1942年（昭和17年）8月30日深夜には、農家を襲撃し、4人を殺害しました（第四事件）。これらの事件で、当初の目的である強盗や強姦は、いずれも失敗に終わっています。

逮捕と裁判

警察の捜査は難航し、誤認逮捕者も出ましたが、第四事件の際に遺留された覆面から中村が浮上。10月13日に逮捕されました。精神鑑定の結果、心神耗弱とは認められず、瘖啞者としての刑法上の減刑も適用されませんでした。1944年（昭和19年）2月23日、静岡地方裁判所浜松支部で死刑判決が下され、6月19日に大審院で上告が棄却。同年7月24日に死刑が執行されました。

中村誠策について

中村誠策は、1923年（大正12年）9月10日生まれ。逮捕時、浜松聾啞学校の中等部1年生でした。第三の事件では、被害者となった農家の六男でもありました。身長は154センチ、体重44キロと小柄で、栄養状態も良くありませんでした。難聴の他に特に病的所見はありませんでしたが、腕力が強く、極端な短足と下半身の異常な毛深さが特徴でした。飲酒や喫煙はせず、女性経験もありませんでした。

生い立ち

裕福な農家に末っ子として生まれた中村は、生まれつき強度の難聴を抱えていました。幼少期には多少の言葉を理解していましたが、3、4歳頃にはほぼ聞こえなくなったとされています。7歳になってようやく簡単な言葉を発するようになったため、親は普通の小学校に入学させましたが、言葉の発達は見られず、手真似で意思疎通をしていました。しかし、友人からは「利口でしっかりした人間」と評され、腕力が強く、からかわれた際には争っていました。

中村は手先が器用で、机や本棚を自作し、機械の分解や修理を好んでいました。小学生の頃から映画をよく鑑賞し、殺伐とした雰囲気や丹下左膳に憧れを抱いていました。管賀（2021）は、殺人の手法に丹下左膳の影響が見られると分析しています。

武蔵屋事件

浜松事件の3年前、1938年（昭和13年）8月21日、中村は芸妓屋「武蔵屋」を襲撃し、女将と芸妓を滅多突きにして重軽傷を負わせました。この事件は、小遣い不足が原因で計画され、3ヶ月かけて自作した刃物を使用しました。綿入りの服を刺す練習や、腕立て伏せによる体力強化も行っていたという周到さでした。この事件は迷宮入りしていましたが、逮捕後の自供によって中村の犯行であることが判明しました。

聾啞学校への入学

武蔵屋事件後、1939年（昭和14年）3月、耳鼻科で聾啞学校の存在を知り、17歳で浜松聾啞学校に入学しました。小学校での成績は最低でしたが、聾啞学校では熱心に勉強に取り組み、トップの成績を収めるようになりました。しかし、入学から1年半ほどで父親から退学を求められるようになり、ミシンを習わせてくれるなら退学すると返答しましたが、父親は拒否。その後は弁当を持たずに通学したり、養鶏を始めるなどして学費を工面しました。

連続殺人の計画

1940年（昭和15年）の夏、中村は聾啞者であることを理由に職を得ることができず、再び盗み目的の殺人を計画。しかし、冬を避けるため、犯行を翌年に延期しました。1941年（昭和16年）7月ごろから犯行を再開し、刺身包丁を加工して作った匕首で、人を突き刺す練習を繰り返しました。

各事件の概要

第一事件

1941年8月18日、芸妓屋「和香松」に侵入し、芸妓を殺害、もう一人に重傷を負わせました。

第二事件

1941年8月20日、料理屋「菊水」に侵入し、3人を殺害しました。

第三事件

1941年9月27日、自身の家で兄を殺害し、家族に重軽傷を負わせました。外部からの侵入を装うなど、計画的な犯行でした。

第四事件

1942年8月30日、農家に侵入し、4人を殺害しました。犯行の際に抵抗され、覆面や凶器の鞘を遺留しました。

事件後の捜査と逮捕

捜査の難航と武蔵屋事件の浮上

警察は捜査を難航させ、痴情のもつれや怨恨による犯行を疑いましたが、手がかりは見つかりませんでした。過去の未解決事件を洗い直した結果、武蔵屋事件が浮上。武蔵屋事件と連続殺人の犯人が同一人物である可能性が高まり、聾啞者の犯行という線で捜査が進められました。

中村の浮上と逮捕

近隣に住む聾啞者を洗い出した結果、中村誠策が浮上。1942年9月22日に取り調べを受けましたが、その際は証拠不十分で釈放。しかし、その後も警察による張り込みが行われ、9月24日に家宅捜索が行われた結果、第四事件の遺留品と同一の布や帽子が発見され、中村の兄たちが逮捕されます。その後の取り調べで、次男の供述により中村の犯行が強く疑われ、10月12日に聾啞学校で所持品検査を実施した結果、別人の靴が発見され、詰め寄られた中村が、刃物で捜査員を襲おうとしたことで、逮捕されました。

精神鑑定と裁判

精神鑑定の結果、中村は抽象概念の理解に困難を示し、道徳的判断も著しく未熟であることが判明しました。しかし、心神耗弱とは認められず、刑法第40条の瘖啞者としての減刑も適用されませんでした。裁判では、検察側の主張がほぼ全面的に採用され、中村に死刑判決が言い渡されました。中村は上告しましたが、大審院で棄却され、1944年7月24日に死刑が執行されました。

事件の影響

浜松事件は、地域住民に深い恐怖を与え、夜は戸締りを厳重にする、竹槍を備えて寝る、自警団を組織するといった状況を生み出しました。また、事件解決の功労者として表彰された紅林麻雄は、後に多くの冤罪事件を引き起こし、浜松事件の解決は彼が出世するきっかけとなった事件でもあります。

事件を題材とした作品

松本清張は、本事件を題材とした小説『夏夜の連続殺人事件』を執筆しましたが、単行本には未収録となっています。管賀江留郎は、著書『冤罪と人類 道徳感情はなぜ人を誤らせるのか』で、浜松事件と二俣事件を中心に紅林麻雄と、彼の背景にあった人間の「道徳感情」について考察しています。

まとめ

浜松事件は、戦時中の混乱期に発生した、稀に見る凶悪な連続殺人事件でした。犯人の中村誠策は、聾啞者でありながら高い知能を持ち、計画的かつ残虐な犯行を繰り返しました。事件は、地域社会に深い傷跡を残し、その後の冤罪事件にも大きな影響を与えました。この事件は、人間の心の闇と、社会の不条理を映し出す象徴的な出来事として、今もなお語り継がれています。

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