涙を抱いた渡り鳥

水前寺清子の歌手としての第一歩を飾った記念碑的な楽曲が、1964年 10月15日にリリースされたシングル「涙を抱いた渡り鳥」です。これは彼女にとってのデビューシングルにあたります。

楽曲情報と制作背景

この楽曲の作詞は星野哲郎が「有田めぐむ」名義で、作曲は市川昭介が「いづみゆたか」名義でそれぞれ手掛けています。両氏が本名以外の名前を用いた背景には、当時の複雑なレコード会社間の事情がありました。

作詞を手掛けた星野哲郎は、当時日本コロムビア専属の作詞家でしたが、この楽曲が発表される前にクラウンレコード（後の日本クラウン）への移籍が決まっていました。一方、作曲の市川昭介は日本コロムビアの専属作曲家であり、本来であれば競合にあたるクラウン所属の歌手、水前寺清子の楽曲を担当することは契約上難しい状況でした。そのため、両氏がやむなく別名義を用いて楽曲を提供したという経緯があります。これは、制作者と歌手、そしてレコード会社の関係が織りなす、まさに「苦肉の策」が生んだ一曲と言えるでしょう。

楽曲誕生の秘話

実は「涙を抱いた渡り鳥」は、当初、別の歌手によって歌われる予定でした。クラウンレコードの設立に伴い、日本コロムビアからの移籍が話題となっていた歌手、畠山みどりが、移籍第一弾シングルとして「袴を履いた渡り鳥」という仮題で歌う計画が進められていたのです。

しかし、状況は一変します。畠山みどりが日本コロムビアの慰留を受け入れ、結果的にクラウンレコードへの移籍を取りやめ、コロムビアに残留することになったのです。これを受け、デビューの機会を掴めずにいた水前寺清子に白羽の矢が当たります。彼女はクラウンレコードに移籍し、当初畠山のために作られていたこの楽曲を、オリジナルのキーのまま歌ってレコードデビューを飾ることとなりました。

水前寺清子の心境と決意

歌手を志した頃、水前寺清子は華やかなドレスを纏って歌う自分を夢見ていました。そのため、自身に与えられたこの「涙を抱いた渡り鳥」という、ボーイッシュで股旅演歌調の楽曲には、当初戸惑いや抵抗があったといいます。

しかし、会社側からは「この歌で成功できなければ、歌手の道は諦めなさい」と告げられます。長年にわたる苦労や下積み生活を思えば、ここで躊躇しているわけにはいきません。彼女は、心に期するものを持ってこの歌を受け入れることを決意します。

「今日から私は男として生きていく」という強い覚悟を胸に、楽曲の世界観に入り込むため、水前寺清子は当時大ファンであった俳優・大川橋蔵が出演する映画を全て鑑賞したといいます。特に「若様侍捕物帖」シリーズでの大川橋蔵の扮装を参考にしたとされ、これが後のトレードマークともなる彼女のボーイッシュなスタイルや、「チータ」という愛称の由来にも繋がっていきます。

実績と影響

「涙を抱いた渡り鳥」は水前寺清子の名を世に知らしめるヒットとなり、彼女の歌手人生において極めて重要な一曲となりました。この楽曲で、彼女は翌1965年の「第16回NHK紅白歌合戦」に記念すべき初出場を果たしています。さらに、1979年の「第30回NHK紅白歌合戦」では、紅白30回を記念する企画として、自身の初出場曲であるこの「涙を抱いた渡り鳥」を再び熱唱しています。これは、この楽曲が単なるデビュー曲にとどまらず、長年にわたり多くの人々に親しまれ、彼女自身のキャリアを象徴する一曲であり続けたことの証と言えるでしょう。

収録曲

シングル盤には、以下の2曲が収録されています。

- 涙を抱いた渡り鳥（3分34秒）
- 天国の近く（4分24秒）

両楽曲共に、作詞は有田めぐむ、作曲・編曲はいづみゆたかが手掛けています。

主なカバー

発表から時を経てもなお、多くの歌手に歌い継がれています。

- 都はるみ - 2007年のアルバム『恩愛の花～都はるみ市川昭介を歌う～』に収録。
- 氷川きよし - 2008年のアルバム『氷川きよし・演歌名曲コレクション8〜玄海船歌〜』に収録。
- 天童よしみ - 2009年のアルバム『天童節昭和演歌名曲選第十一集』に収録。
- 西方裕之 - 2011年のアルバム『星野哲郎を唄う』に収録。

「涙を抱いた渡り鳥」は、一人の歌手のデビュー曲にまつわるドラマ、時代のレコード業界事情、そして歌い手の覚悟が凝縮された、日本の歌謡史に残る名曲です。この一曲が、後の「いつでも夢を」「三百六十五歩のマーチ」といった大ヒットに繋がる、水前寺清子の力強くも情に厚い歌唱スタイルの原点となったと言えるでしょう。

涙を抱いた渡り鳥