渋沢平九郎

幕末の動乱期に、わずか22歳でその生涯を終えた若き武士、それが渋沢平九郎（しぶさわへいくろう）である。武蔵国榛沢郡（現在の埼玉県深谷市）の豪農出身でありながら、後に日本の近代経済を築いた渋沢栄一の見立養子となり、歴史の荒波に身を投じることとなった波瀾万丈の人生を送った。

生い立ちと青年期

弘化4年（1847年）11月7日、平九郎は下手計村で名主を務める尾高勝五郎の末子として誕生した。実兄には、後に富岡製糸場の初代工場長となる尾高惇忠らがいる。尾高家は農業に加え、多様な商業を営む地域の名家であった。平九郎は幼い頃から学問や文芸に親しみ、10歳からは神道無念流の剣術を学ぶ。その才能は抜きんでており、19歳になる頃には人に教えるほどの腕前となった。温厚でありながらも芯が強く、沈着果断な性格で、容姿にも優れ、色白で背が高く、腕力も強かったと伝えられている。

時代との関わり、そして栄一との縁

黒船来航以降、日本社会が攘夷か開国かで揺れる中、平九郎の兄・惇忠や従兄の渋沢成一郎、そして渋沢栄一といった周囲の若者たちは尊王攘夷思想に感化されていた。彼らが企てた過激な計画にも、平九郎は参加を予定していた時期があったが、幸いにも未遂に終わった。しかし、時代の波はすぐそばまで来ていた。元治元年（1864年）、惇忠が水戸天狗党との関連を疑われ捕縛された際には、平九郎もまた家宅捜索を受け、一時的に拘束される経験をしている。

平九郎の人生は、従兄であり、また姉の千代が嫁いだことで義兄ともなった渋沢栄一との縁によって大きく転換する。慶応3年（1867年）、栄一が幕臣となり、パリ万国博覧会への随員としてフランスへ渡航することになる。その直前、栄一は故郷へ手紙を送り、平九郎を自身の養子とする意向を伝える。同年10月、平九郎は栄一の見立養子として江戸へ迎えられた。しかし、江戸での新しい生活が始まるやいなや、大政奉還の報せが届き、日本はさらなる動乱へと突き進む。王政復古、そして鳥羽・伏見の戦いと続く混乱の中、平九郎は幕臣の子としての立場から、フランスにいる栄一へ日本の危急を伝える手紙を送っている。

彰義隊、そして振武軍へ

慶応4年（1868年）2月、徳川慶喜が江戸城を去り上野に蟄居すると、旧幕府勢力の有志たちは慶喜の復権を目指し、彰義隊を結成する。平九郎の従兄である渋沢成一郎が頭取を務めたこの組織に、平九郎も初期から関わり、隊士を率いる伍長の一人となった。しかし、隊内部では頭取の成一郎と副頭取の天野八郎の間に対立が生じる。閏4月、成一郎が彰義隊を離れ、独自の部隊である振武軍を組織すると、平九郎もこれに追随した。彼は故郷への決意を書き残し、振武軍の一員として右軍頭取に就任。兄の惇忠もまた、振武軍の中軍の将として加わった。

飯能戦争、壮烈なる最期

振武軍は旧幕府軍の立て直しを目指し、武蔵国各地を転戦した後、飯能に本営を置いた。しかし、彰義隊を破った新政府軍は迅速に飯能へ迫る。閏4月23日未明、飯能の地で両軍は激突した（飯能戦争）。振武軍は善戦するも、兵力に勝る新政府軍に押され、正午前には壊滅的な打撃を受ける。

戦いの混乱から孤立した平九郎は、成一郎や惇忠とはぐれ、顔振峠を越えて逃走した。峠の茶屋の女主人から追っ手を避ける道を教えられ、百姓に変装するために愛刀の大刀を預けたものの、平九郎はなぜか越生方面へと下る道を選んだ。午後4時頃、黒山村に下ったところで、新政府軍の斥候隊3名と遭遇してしまう。平九郎は小刀一本で果敢に応戦し、敵兵2名に傷を負わせるが、自身も深手を負い、右肩を斬られ足に銃弾を受ける。彼の壮絶な抵抗にたじろいだ斥候が仲間を呼びに戻る間に、平九郎は川岸の岩に静かに座り、観念の自刃を遂げた。享年22歳の若さだった。

没後の遺芳

平九郎の首は新政府軍によって今市宿に晒されたが、遺骸は黒山村の人々によって手厚く全洞院に葬られた。村人たちは、その壮絶な最期に感銘を受け、彼を「脱走の勇士様」（だっそさま）と呼び、首から上の病にご利益があると信じ、崇敬したという。

飯能戦争を生き延びた兄・惇忠は、後に黒山村に一人の勇士が壮烈な最期を遂げたという噂を聞きつけ、現地を訪れて人々の話を聞き、それが平九郎であったことを知る。平九郎の最期の様子は、明治元年（1869年）に負傷兵から話を聞いた医師が描いた絵によっても後世に伝えられており、その絵に惇忠が題字と添え書きを記している。

平九郎が所持していたとされる刀は複数確認されており、特に討死の際に佩刀していた小刀や、顔振峠で預けた大刀は後に養父・渋沢栄一のもとへ届けられた。また、「応渋澤平九郎需」と銘のある月山貞一作の大刀も伝わっている。

明治6年（1873年）、渋沢栄一の命により、平九郎の首と遺骸は東京・谷中の渋沢家墓地に改葬された。しかし、胴体が埋葬された越生町の全洞院には今も墓石が残り、首が埋葬された法恩寺にも埋首之碑が建立されている。自刃の地も越生町の史跡として保存され、傍らには平九郎の血の色とされる赤い実を結ぶグミの木が立っている。養父である栄一は、終生にわたり平九郎の供養を欠かさず行い、故郷の渋沢家本家には栄一が建てた平九郎の石碑が残されている。

平九郎の短いながらも激しい生涯は、後世、舞台やテレビドラマ、小説など様々な形で描かれ、幕末の青春群像の一人として、今もなお語り継がれている。

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