渋谷達明

渋谷達明は1931年にこの世に生を受けた日本の著名な化学者であり、特に香りの科学研究において重要な足跡を残した人物です。長年にわたり筑波大学で教鞭を執り、後に名誉教授の称号を得ました。

東京に生まれた渋谷氏は、1953年に東京教育大学理学部生物学科を卒業しました。その後、同大学の大学院博士課程に進みましたが、課程途中で退学しています。しかし、研究活動は続け、1961年には「シャコ心臓のペースメーカーの機構」に関する研究で理学博士の学位を取得しました。この初期の研究は、生体における精密な制御機構に対する氏の関心の深さを示唆しています。

学術キャリアは、1967年に東京教育大学理学部で助教授に就任したことから本格的に始まりました。その後、1974年には筑波大学に移り、生物化学系の助教授として研究教育活動を継続。やがて同大学の教授に昇任し、多くの後進の指導にあたりました。1994年に定年を迎え、その功績が称えられ、筑波大学名誉教授となりました。

大学での職務の傍ら、渋谷氏は嗅覚味覚研究所の所長を務め、感覚科学、特に嗅覚と味覚に関する研究を推進しました。生物が外界の化学物質をどのように感知し、それによってどのような生理的、行動的反応を示すのかという、生命現象の根幹に関わる探求に力を注ぎました。

氏の活動は研究室内に留まらず、科学知識の社会への普及にも及びました。2005年にはフレグランスジャーナル社と協力し、東京都千代田区に「香りの図書館」を開設しました。これは、香りや嗅覚に関する専門書や資料を集めたユニークな施設で、研究者だけでなく一般の人々にとっても貴重な情報源となることを目指していましたが、残念ながら2018年に閉館しています。

渋谷氏の研究成果や科学的な見解は、多数の著作や編著、翻訳書として世に問われました。自身の筆による著書としては、『匂いの謎 嗅覚の世界を探る』（1999年）、『生き物の神秘 デジタルで説明できないアナログの世界』（2002年）などがあり、これらは専門分野にとどまらず、科学全般に対する深い洞察や生物の持つアナログなシステムの重要性を説く内容となっています。

また、共編著や編著を通じて、感覚科学、特に匂いと嗅覚に関する専門知識の体系化と普及に貢献しました。主要な共編著には以下のようなものがあります。

高木貞敬氏と共編『匂いの科学』（1989年）
外池光雄氏と共編著『においの受容』（2002年）、『においと脳・行動』（2003年）
編著『香りの研究エッセイ』（2005年）
市川眞澄氏と共編著『匂いと香りの科学』（2007年）
望月文昭氏と共著『匂いで害虫をコントロールする 性フェロモンかく乱剤による防除』（2012年）

これらの著作群は、嗅覚のメカニズムから脳との関連、さらには応用研究に至るまで、氏の研究対象の幅広さを示しています。特に、においと脳・行動の関連や、性フェロモンを利用した害虫防除といったテーマは、基礎科学と応用科学の両面からのアプローチを重視していたことを物語っています。

さらに、渋谷氏は海外の優れた科学書を日本語に翻訳し、日本の読者に紹介する活動にも熱心に取り組みました。動物の感覚、行動、脳機能に関する翻訳書が多く、これらは氏自身の研究テーマと深く関連しています。主な翻訳書は以下の通りです。

V.B.ドレシャー『動物の神秘をさぐる 動物の不思議な感覚と生態』（1969年）
C.V.ブルーワー『脳と脊髄 その制御と統合のはたらき』（碓井益雄氏と共訳、1974年）
R.T.オル『動物の渡り 神秘の旅を探る』（1975年）
フィタス・B.ドレッシャー『動物の不思議な感覚』（1980年）
フリードリッヒ・G.バルト『昆虫と花 共生と共進化』（監訳、1997年）

これらの翻訳活動は、国内における関連分野の研究水準の向上や、一般読者の科学への関心を高める上で重要な役割を果たしました。特に、動物の感覚や行動に関する専門書を精力的に紹介したことは、生物学的な視点から嗅覚や味覚を研究する氏のアプローチを反映しています。

渋谷達明氏は、化学者でありながら生物の生理機能、特に感覚に深く切り込み、そのメカニズムの解明に貢献しました。教育者としては多くの学生を育成し、著書や翻訳を通じて専門知識を広く社会に伝えることにも尽力しました。香りの図書館の開設のような取り組みも含め、その活動は日本の感覚科学分野の発展に多角的に貢献し、大きな影響を与えました。氏の研究と啓蒙活動は、現在も多くの研究者や科学愛好家に示唆を与えています。

もう一度検索