湖畔の人

松本清張『湖畔の人』

概要

『湖畔の人』は、松本清張が1954年に発表した短編小説です。『別冊文藝春秋』に掲載された後、短編集『奥羽の二人』に収録されました。著者が上京直後の1953年末から年始にかけて、上諏訪と富士見で取材した内容が基になっています。この作品は、松平忠輝を題材にした短編小説の第一作目にあたります。

あらすじ

物語は、定年まであと6年という新聞記者、矢上が主人公です。彼は、上諏訪への転勤が決まり、赴任前の打ち合わせのために当地を訪れます。諏訪湖畔で、松平忠輝が幽閉され生涯を終えたという高島城跡を眺めるうち、矢上は忠輝の孤独な人生に、自身の境遇を重ね合わせます。

矢上は、学生時代から人付き合いが苦手で、新聞社を転々としますが、どこにも馴染めずにいました。そんな彼は、忠輝の生涯に共感を覚えます。翌日、富士見の高原で人影を見た矢上は、忠輝とその家来たちの姿を想像します。彼は、忠輝に最後まで付き従った家来たちに親近感を抱き、諏訪に戻って古本屋を頼り、古文書の写本を持つ画家、香川太一のいる寺を訪れますが、会うことはできませんでした。

東京に戻った矢上は、正月に香川からの手紙を受け取ります。手紙には、忠輝に仕えた家臣の名前が記されており、矢上は、湖畔に佇む彼らの姿を、水のように澄んだ心で思い浮かべます。

作品の背景

著者は1972年に、本作について「諏訪で松平忠輝のことを調べた際の産物」と述べています。当初は忠輝のことを普通に書くつもりでしたが、新聞社で地方勤務を続け、定年を迎えた不遇な人物を知り、その人物に自身を重ね、忠輝の事績を追体験するという仮構を創作したと語っています。これは、現代の話に歴史の話を重ねた、著者独自の歴史小説の試みであるとされています。

『清張日記』には、1953年12月31日に富士見高原を訪れ、郷土史家の細川隼人氏に松平忠輝について話を聞いたこと、また、その前に朝熊山に流罪となった忠輝のことを調べるため、金剛證寺に電話をかけたものの繋がらなかったことが記されています。細川隼人の孫である細川一夫氏は、松本清張が訪問した際のエピソードを回想しており、祖父が「井伏鱒二とは違い、全然有名ではない」と語っていたことを明かしています。

作品の分析

研究者の曹雅潔は、『湖畔の人』が「物語世界内で行為の舞台が多数あり、作中人物が異なる舞台の境界を越える」作品であると指摘しています。また、「現実と想像の二重構造があり、さらに現実においては現在と過去という二つの要素が存在している」と分析しています。

書誌情報

『奥羽の二人』（1954年、和光社）
『松本清張全集 第35巻』（1972年、文藝春秋）
『延命の負債』（1987年、角川文庫）
『昭和文学全集 第18巻』（1987年、小学館）

『湖畔の人』は、歴史上の人物を題材にしながら、現代に生きる人間の孤独や心の機微を描いた作品として、高く評価されています。松本清張の卓越した構成力と、深い人間観察眼が光る一作と言えるでしょう。

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