源氏一品経

源氏一品経：平安時代の文学と仏教の交錯

源氏一品経は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて作成された、源氏物語の作者紫式部や読者への供養を目的とした願文です。当時流行した「源氏供養」という儀式において重要な役割を果たしており、『源氏一品経表白』とも呼ばれています。大原三千院所蔵の『拾珠抄』に収録され、1168年頃、安居院澄憲によって記されたとされています。

源氏供養と仏教思想

平安時代、物語は仏教の教えにおいて最下層に位置づけられていました。特に、源氏物語のような恋愛や男女関係を描いた物語は、「愛欲の書」として罪深いものと捉えられ、作者や読者は地獄に堕ちるとの考え方が広まりました。源氏供養とは、そうした罪悪感から、物語の作者や読者を救済するための供養儀式だったのです。

この考え方は、源氏物語が仏の導きによって書かれ、紫式部自身が仏の化身であるという、一見対照的な考え方と並存していました。しかし、どちらも仏教思想の枠組みの中で源氏物語を理解しようとする試みであり、表裏一体の関係にあったと考えられています。

源氏供養は後世、様々な作品に影響を与え、物語や能、浄瑠璃などの題材となりました。これらの作品の中にも、源氏一品経に類する作品が存在します。

一品経と源氏物語

「一品経」とは、一般的に法華経の各巻を一人ずつ分担して写経する供養方法を指します。法華経全体を28品に分け、さらに序章の『無量義経』と終章の『観普賢経』を加えた30巻を写経することで、最も丁寧な法華経の写経方法とされています。

源氏一品経は、この一品経の形式を源氏物語に適用したものです。源氏物語54帖を、法華経28品になぞらえて28帖に分類し、各帖を1品として供養する形式をとっています。具体的には、いくつかの帖をまとめて1品として計算することで、54帖を28品に相当するように調整しています。例えば、宇治十帖は1帖として数えられています。

さらに、源氏物語の帖数の数え方には、他に「巻軸60曲」や「立編目39編」といった表記も見られます。「巻軸60曲」は、源氏物語に隠された6帖が存在するという説に基づくものと考えられますが、「立編目39編」の由来は不明です。

源氏物語の階層的理解

仏教思想に基づく文書の価値観では、仏典が最上位に位置づけられ、次いで儒教や道教の書物、歴史書、漢詩、和歌と続き、物語は最下層に位置していました。これは、物語が虚構であり、「不妄語戒」に反する可能性があるためです。源氏一品経はこのような仏教的価値観の中で生まれた願文であり、物語に対する当時の社会の考え方を反映しています。

翻刻と参考文献

源氏一品経は、複数の研究者によって翻刻・研究されています。代表的なものとしては、後藤丹治、袴田光康らの研究が挙げられます。これらの研究は、源氏一品経の内容だけでなく、源氏供養や平安時代の仏教思想、そして源氏物語の受容史を理解する上で重要な手がかりとなります。また、寺本直彦、伊井春樹らの研究も、源氏物語の社会における位置づけや評価を理解する上で参考になります。

これらの研究成果を参考に、源氏一品経は単なる願文ではなく、平安時代の文学と仏教思想が複雑に絡み合った時代の精神文化を反映した貴重な史料であると言えるでしょう。

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