無言歌集 (メンデルスゾーン)

無言歌集（むごんかしゅう）

「無言歌集（むごんかしゅう）」は、19世紀ドイツ・ロマン派の作曲家フェリックス・メンデルスゾーン（1809-1847）が作曲した、ピアノ独奏のための珠玉の小品群です。ドイツ語の原題は「言葉のない歌」を意味する "Lieder ohne Worte" と名付けられています。これは、歌詞を持たない器楽曲でありながら、まるで歌のように叙情的で、聴く人の心に直接語りかけるような表現を目指したメンデルスゾーンの意図が込められています。英語では "Songs Without Words"、フランス語では "Romances sans paroles" と呼ばれることもあります。

この曲集は、作品19、作品30、作品38、作品53、作品62、作品67、作品85、作品102の計8巻として出版されました。それぞれの巻には6曲ずつの「無言歌」が収められており、全体で48曲の大規模なコレクションを形成しています。これらの「無言歌」という形式は、メンデルスゾーンの姉で自身も優れた音楽家であったファニー・メンデルスゾーン（1805-1847）が考案したと伝えられています。ファニーもまた、数多くの「無言歌」や他の性格的小品を残しています。正規の8巻48曲のほかにも、生前に出版されなかった「無言歌」が近年発見・出版されており、メンデルスゾーンがこのジャンルに深く関心を持っていたことがわかります。

ロマン派ピアノ小品としての位置づけ

全48曲からなる「無言歌」は、当時盛んだったドイツ・ロマン派音楽におけるピアノのための「性格的小品（キャラクター・ピース）」の中でも、特に広く知られ、愛されている傑作の一つです。これらの作品の最大の魅力は、その優美で温かみのある曲想にあります。また、高度な技巧を必要としない、比較的演奏しやすい難易度であることから、発表当初からアマチュア奏者を含む多くの人々に親しまれてきました。メンデルスゾーンの「無言歌集」やロベルト・シューマン（1810-1856）の初期ピアノ作品群は、その後の多くの作曲家たちに影響を与え、この性格的小品という分野で数々の優れた作品が生み出される契機となりました。

表題をめぐる興味深い背景

「無言歌集」の全48曲にはそれぞれ表題が付けられています。しかし、これらの表題がすべて作曲家メンデルスゾーン自身によって命名されたわけではないという点が興味深い特徴です。メンデルスゾーン自身が明確に表題を付けたと確認されているのは、わずか5曲に過ぎません。これらは、『ヴェネツィアの舟歌』（作品19-6、作品30-6、作品62-5の3曲）、上声部と下声部の対話のような構成を持つ『デュエット』（作品38-6）、そして民謡風の旋律を持つ『民謡』（作品53-5）です。これら以外の大部分の表題は、主に楽譜出版社が、曲の雰囲気や特徴からイメージして後から付け加えたものです。

ただし、一部の曲については、楽譜の冒頭に作曲家自身が書き込んだ「発想標語」が、そのまま表題として定着したものもあります。例えば、最も有名な作品の一つである《春の歌》（作品62-6）は、「春の歌のように」というドイツ語の発想標語に由来しています。同様に、《葬送行進曲》（作品62-3）、「紡ぎ歌」（作品67-4）、「子守歌」（作品67-6）も、それぞれの発想標語から名付けられました。これらの4曲は、作曲者自身が付けた5曲と同様に、ある程度メンデルスゾーンの意図を反映したものと見なすことができます。これら以外の表題については、出版されている楽譜の版によって異なる場合があります。

長い作曲期間をかけたコレクション

「無言歌集」に収められた48曲は、メンデルスゾーンの生涯の比較的長い期間にわたって作曲されました。現在、正確な作曲年代が特定できているのは48曲中25曲です。最も初期に作曲されたことが確認されているのは、第1巻の《ないしょの話》（作品19-4）で、1829年9月14日に書かれました。一方、最も後期の作品とされるのは、第8巻に収められた《タランテラ》（作品102-3）と《子供の小品》（作品102-5）で、いずれも1845年12月12日に作曲されています。これは、メンデルスゾーンがこれらの小品を、キャリアの初期から晩年に至るまで継続的に作曲していたことを示しています。

各巻の概観

• - 第1巻 作品19 (1832年出版): 初期の作品を含む巻。《ないしょの話》（Op.19-4）は最も古い無言歌の一つ。《ヴェネツィアの舟歌 第1》（Op.19-6）は作曲者指定の表題曲。
• - 第2巻 作品30 (1835年出版): 《慰め》（Op.30-3）は教会音楽でも用いられる有名な旋律を持つ。《ヴェネツィアの舟歌 第2》（Op.30-6）を含む。
• - 第3巻 作品38 (1837年出版): 作曲者指定の表題曲『デュエット』（Op.38-6）を収める。
• - 第4巻 作品53 (1841年出版): 作曲者指定の表題曲『民謡』（Op.53-5）を含む。
• - 第5巻 作品62 (1844年出版): 最も有名な《春の歌》（Op.62-6）を収める。この曲は各地の駅発車メロディとしても知られる。他に《葬送行進曲》（Op.62-3）はメンデルスゾーン自身の葬儀と関連付けられることがある。
• - 第6巻 作品67 (1845年出版): 《紡ぎ歌》（Op.67-4）や《子守歌》（Op.67-6）など、発想標語由来の親しみやすい曲を含む。
• - 第7巻 作品85 (1851年出版): メンデルスゾーンの死後4年を経て出版された遺作。
• - 第8巻 作品102 (1868年出版): 没後21年という比較的長い期間を経て出版された遺作。最後期に書かれたとされる《タランテラ》（Op.102-3）や《子供の小品》（Op.102-5）を含む。

これらの8巻に含まれなかったものの、メンデルスゾーンが作曲した「無言歌」も存在し、一部は後に補遺として出版されています。

「無言歌集」は、メロディの美しさ、感情豊かな表現、そして演奏のしやすさから、今なお世界中のピアノ学習者や愛好家に親しまれています。メンデルスゾーンの音楽の優雅さと抒情性が凝縮された、まさに「言葉のない歌」と呼ぶにふさわしい作品集と言えるでしょう。

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