犬神

犬神：西日本の地に根付く犬霊の憑依

犬神は、狐憑きや狐持ちとともに西日本、特に四国地方に広く分布する、犬の霊が憑依する現象です。大分県東部、島根県、四国の北東部から高知県にかけて、近年まで根強く信仰されていました。キツネが生息しない四国を犬神発祥の地とする説もあるほどです。さらに、その信仰の痕跡は島根県西部から山口県、九州全域、薩南諸島、沖縄県まで広く見られます。地域によっては「インガメ」「イリガミ」などとも呼ばれ、「狗神」という漢字表記も用いられます。

犬神の起源と伝承

犬神の憑依現象の起源は、平安時代の呪術である蠱毒（特定の動物の霊を用いた呪詛）に求められます。飢餓状態の犬の首を打ち落とし、辻道に埋めることで怨念を増幅させ、呪物として用いる方法などが伝わっています。他にも、犬を生きたまま埋めたり、餓死寸前に首を切るなど、残酷な方法で犬神を作る伝承が残されています。大分県では、巫女が犬の首を切り、蛆を乾燥させて犬神として販売したという霊感商法のような事例もあったと伝えられています。

しかし、犬神の容姿は地域によって異なり、ネズミほどの大きさで斑点があり、尻尾が分かれている、目が見えないなど、必ずしも犬の姿とは一致しません。管狐やオサキといった他の妖怪との類似性も指摘されており、単純な蠱毒の呪法の踏襲とは言い切れません。狐霊信仰を中心とした呪詛の亜流が伝承の中核を成しているという見方もあります。具体的な姿については、ハツカネズミ、ジネズミ、イタチ、コウモリなどに例えられ、体長も米粒ほどのものから1尺1寸のものまで、多様な記述があります。

犬神の起源についても諸説あり、源頼政が討伐した鵺の死体から生まれた、弘法大師が描いた犬の絵から生まれた、殺生石の破片から生まれたなど、様々な伝説が残されています。

犬神持ちとその影響

犬神は、犬神持ちの家屋の納戸や床下、水甕などにいるとされ、情緒不安定な人に憑依しやすいとされています。憑依されると胸や手足の痛み、肩を揺する、犬のように吠えるなどの症状が現れると伝えられています。人間の耳から体内に侵入し、嫉妬深い性格になるとも言われます。徳島県では、犬神に憑かれた者は大食となり、死後には体に犬の歯型が残るとも伝えられています。人間だけでなく、家畜や無生物にも憑依し、鋸などに憑くと使い物にならなくなるとも言われています。

犬神持ちの家系は、蠱毒を扱った呪術師や山伏、祈祷者の血筋が受け継がれたものと考えられており、歴史的には被差別民として扱われてきました。そのため、犬神持ちの家系との通婚や交際は忌避されるのが一般的です。四国地方では、結婚の際に家系の調査が行われ、犬神の有無が確認される習慣もありました。これは同和問題にも関連する複雑な問題でもあります。

愛媛県では、家族の人数分だけ犬神がおり、家族が増えると犬神の数も増えるという伝承があります。犬神は家族の意思を読み取り、必要な時には家を出て行って憑依するとされますが、必ずしも従順ではなく、家族を噛み殺すこともあるとされています。

犬神による病気は、通常の医者では治せず、呪術師に犬神を落としてもらう必要があります。種子島では、「犬神連れ」といって、犬神持ちが他人に犬神を憑かせたと疑われた場合、山小屋に隠棲するなどの行動が見られました。

犬神持ちの家は富むとされる一方で、祟り神として忌避される場合もあります。狐霊のように祭られることによる恩恵を受けない、という点で、他の妖怪信仰とは対照的です。

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