百面相

百面相とは

日本の伝統的な大衆芸能である寄席芸の一つに「百面相」（ひゃくめんそう）があります。これは、特別な装置などを用いることなく、手ぬぐいやつけひげといったごく身近で手軽な小道具を巧みに活用しながら、演者の顔つきや表情を驚くほど多様に変化させて見せる芸です。その名の通り、あたかも百種類の顔を持つかのように、瞬く間に異なる人物や感情を表現し、観客を楽しませます。かつては「生人形（いきにんぎょう）」や「変相術（へんそうじゅつ）」といった別名でも親しまれていました。

百面相の歴史

百面相のルーツは、江戸時代の文化年間（1804年～1818年）にまで遡るとされています。初代三笑亭可上（さんしょうていかじょう）が始めた「百眼（ひゃくまなこ）」と呼ばれる芸が、その原型と考えられています。この「百眼」は、単に顔を変えるだけでなく、「目かつら」と呼ばれる特殊な小道具を目元に着け、さらに身振り手振り、物まね、声色（こわいろ）、そして小噺（こばなし）などを交えながら、高座（こうざ）で披露される総合的な芸でした。顔の変化に加えて、これらの要素が組み合わさることで、より豊かな表現を可能にしていたようです。

時代が明治に入ると、この芸は次第に「生人形」あるいは「変相術」といった名称でも呼ばれるようになり、現在に続く「百面相」へとその形を変化させていきました。名称の変化は、芸の内容や emphasis が時代や演者によって少しずつ異なっていったことを示唆しています。

百面相に関する興味深い言い伝えとして、かつては顔の形をより自由自在に変えるために、芸の道を極めんとする一部の演者が、なんと自らの歯を全て抜いてしまった、という話が伝えられています。この逸話が歴史的事実であるかは定かではありませんが、それほどまでに芸に懸ける情熱や、顔の変形に対する extreme な追求があったことを示すものとして、語り継がれています。顔面筋を鍛え、道具と組み合わせて様々な表情を生み出す技術は、まさに身体を張った芸術と言えるでしょう。

現代に伝わる演者たち

百面相は、時代を超えて多くの演者によって受け継がれ、磨かれてきました。戦後には、落語界の巨匠である五代目柳家小さん（やなぎやこさん）が、その多才な一面として百面相を余芸として披露し、寄席に新たな彩りを加えました。また、波多野栄一（はたのえいいち）も百面相を得意とする芸人として知られていました。そして現代においては、露の団四郎（つゆの だんしろう）が百面相を得意芸の一つとして、その技術と魅力を今に伝えています。

この他にも、百面相の歴史において、多くの芸人がこのユニークな芸に挑戦し、観客を魅了してきました。記録に残る主な演者としては、以下の方々が挙げられます。

松柳亭鶴枝
柳家あやめ
三遊亭福圓遊
横目家助平
橘右團治
桂一奴
初代桂米太郎
先代三遊亭圓福
高砂家ちび助
柳家小満ん
* 二代目金原亭馬の助

これらの演者たちは、それぞれの時代において、百面相という芸の可能性を広げ、その面白さを多くの人々に伝えてきました。

百面相の魅力と未来

百面相の最大の魅力は、演者の肉体、特に顔面筋の訓練と、シンプルな道具の組み合わせによって、無限とも思える表情の変化を生み出す技術にあります。手ぬぐいを被る、顎に添える、といった簡単な動作や、つけひげをmanipulate するだけで、全く異なるキャラクターや感情が一瞬にして立ち現れます。これに身振り手振りや声の調子を合わせることで、視覚的な驚きと共に物語性やユーモアが生まれるのです。

言葉による説明に頼らず、純粋に視覚的な表現で観客を引き込む百面相は、日本の伝統芸能が持つ多様な表現形態の一つとして非常に興味深い存在です。寄席文化の中で育まれ、形を変えながらも現代まで受け継がれてきたこの芸は、今なお見る者に新鮮な驚きと笑顔をもたらす力を持っています。

現代社会では、かつてほど頻繁に高座で見られる機会は多くないかもしれませんが、その独特のスタイルと、演者の高度な技術に支えられた変幻自在の顔の世界は、日本の大衆芸能史において重要な一ページを占めており、その魅力は今後も語り継がれていくことでしょう。

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