直良信夫

直良信夫（なおら のぶお）

直良信夫（1902-1985）は、日本の考古学界において、動物考古学や古生物学といった、当時の主流とは異なる新たな視点をもたらした先駆的な研究者です。文学博士号を取得し、彼の研究は、日本の古代における人々の生活や環境を理解するための重要な基礎を築きました。

生涯

幼少期から青年期

1902年1月10日、大分県臼杵町（現在の臼杵市）に、8人兄弟の次男として生まれました。村本家はかつて臼杵藩の武士でしたが、明治維新後に没落し、非常に貧しい環境で育ちました。父は港湾労働者、母や姉弟は農作業で家計を助ける日々でした。こうした中で、直良は野外で過ごすことが多く、生物に強い興味を抱くようになります。同時に、祖父から源平合戦などの歴史物語を聞くことで、歴史への関心も深めていきました。

尋常小学校高等科を修了後、伯母の養子となり上京しますが、一年足らずで臼杵に戻ります。この頃、後に妻となる直良音（なおら おと）と出会いました。

1917年、再び上京し、鉄道院の職員食堂で働きながら夜間学校に通い、学びを続けます。体調を崩しながらも、岩倉鉄道学校工業化学科を卒業し、農商務省の研究所に勤務。ここで黒田修三のもと、窒素固定法の研究に携わります。この間、喜田貞吉の影響を受け、考古学に関心を抱き始め、発掘調査にも参加するようになりました。

明石への移住と「明石原人」の発見

研究所勤務中に再び体調を崩した直良は、1923年に関東大震災の前日、東京を離れて故郷臼杵へ向かいます。その途中、兵庫県立姫路高等女学校に転勤していた音と再会し、姫路での療養を勧められました。

1925年、直良は音と結婚（直良家へ婿入り）。翌年から療養も兼ねて明石市に移住しました。この明石での生活中に、彼は考古学者としての名を広く知られる出来事を迎えます。

1931年4月18日、明石市の西八木海岸で、旧石器時代の人類のものと思われる化石人骨を発見したのです。これは「明石人」と呼ばれることになります。直良はこの発見について、『人類学雑誌』に詳細な論文を発表し、出土した旧石器や旧象の写真、層序、さらには伴出した植物化石についても報告しました。

しかし、この発見に対して、鳥居龍蔵は実物を見ずに伝聞のみで旧石器を自然石であると否定し、学術的な論争が起こります。この否定的な意見により、直良は世間から嘲笑され、一時的に旧石器研究から距離を置かざるを得なくなったとも言われています。ただし、彼はその後も研究を続け、1950年には栃木県葛生町で発見した化石骨群を「葛生原人（葛生人）」として報告しています。この葛生人に関する報告は、後の調査で動物（クマ、トラ、サルなど）の骨や、人骨とされたものも15世紀頃の骨であることが判明し、事実と異なっていたことが明らかになっています。

再上京と早稲田大学での活躍

1932年、直良は再び東京へ移り、早稲田大学の徳永重康に師事して古生物学の研究に打ち込みます。無報酬の助手でしたが、徳永の計らいで大学の図書係となります。徳永の死後も大学に慰留され、1945年には早稲田大学の講師に就任しました。同年、東京大空襲により、発見した人骨化石を含む多くの資料を失うという悲劇に見舞われます。

「明石人」の化石については、1947年に長谷部言人が石膏型を検討し、「ニッポナントロプス・アカシエンシス」と命名され、改めて学界の注目を集めました。

直良は研究を続け、1957年には「日本古代農業発達史」で文学博士号を取得。1960年には早稲田大学教授に昇進し、後進の指導にあたりました。

晩年

1965年に妻音が死去した後、再婚。1972年に早稲田大学を定年退職しました。この頃から体調を崩し、特に睡眠障害に悩まされます。退職後、妻の故郷である島根県出雲市に転居。病と闘いながらも、地元新聞への随筆連載など、精力的な執筆活動を続けました。晩年はさらに体力が衰え、自身の発見に関連する調査の見学も難しい状態でした。

1985年11月1日、明石市文化功労章を受章。しかし、授賞式には出席できず、娘が代理で受章しました。その翌日、11月2日に83歳で死去しました。

学術的貢献と評価

直良信夫の最大の功績は、それまでの日本の考古学が軽視しがちだった、遺跡から出土する動物や植物の遺骸（動物遺骸、植物遺骸）に学術的な光を当て、研究手法を確立した点にあります。彼は、これらの遺骸を分析することで、当時の人々の食生活、社会構造、さらには気候や植生といった環境までも復元できることを示しました。

特に貝塚の研究においては画期的な業績を挙げ、膨大な量の貝類や動物骨を分析し、人々の生業や季節的な活動などを明らかにしました。こうした彼の研究は、後の動物考古学や環境考古学といった分野が日本で確立・発展するための確固たる礎となりました。

「明石人」については、発見当時はその年代を巡って論争がありましたが、現在では縄文時代以降の新しい時代の人骨とする見方が有力です。「葛生人」については、後に誤りであったことが判明しましたが、こうした発見とそれを取り巻く論争の過程自体が、当時の日本の古人類学・考古学の状況を示すものとして歴史的な意味を持っています。

人物像・エピソード

直良は非常に観察力に優れた人物で、自宅で様々な動物を飼育し、その行動や生態を詳細に観察して記録していました。その観察記は単行本として出版されています。観察記録に添えられたペン画は独学で習得したものでした。

また、自宅には動物の骨格標本が数多く飾られており、娘からは「化け物屋敷に住んでいるようだ」と言われたこともあったそうです。晩年に移り住んだ出雲の家でも、庭いじりを楽しみにするなど、自然や生物への深い愛情を持ち続けていました。

推理作家の松本清張の短編小説「石の骨」の主人公のモデルの一人とも言われています。

家族

直良信夫には、妻音との間に生まれた子供がいました。長女の美恵子は、後に作家・翻訳家として活躍した直良三樹子（升水美恵子）です。長男の直良博人（Hiroto Naora）は、オーストラリア国立大学で細胞核の研究を行った著名な科学者となりました。孫もいましたが、海外で育った内孫が日本語を話せないことに、彼は寂しさを感じていたようです。

主な著書・論文

『播磨國西八木海岸洪積層中發見の人類遺品』 (1931年)
『蝙蝠日記』 (1943年)
『日本哺乳動物史』 (1944年)
『日本産狼の研究』 (1965年)
* 『日本および東アジアの化石鹿』（春成秀爾 編、1997年 - 没後刊行）

まとめ

直良信夫は、「明石人」や「葛生人」といった発見で、日本の旧石器・古人類研究に一石を投じました。同時に、動物や植物の遺骸研究、特に貝塚研究を通じて、日本考古学に新たな視点と研究手法を確立し、現在の動物考古学や環境考古学の発展に不可欠な貢献をしました。その生涯は、困難や論争に直面しながらも、一貫して生物と歴史への深い探求心に支えられていたと言えるでしょう。

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