相州七里浜

葛飾北斎『冨嶽三十六景』より「相州七里浜」：雄大な富士と繊細な描写の融合

葛飾北斎の代表作として名高い『冨嶽三十六景』の中に、「相州七里浜」という作品が存在します。この作品は、神奈川県鎌倉市南西部の相模湾に広がる七里ヶ浜から望む富士山を捉えた一枚です。約3キロメートルにも及ぶ砂浜と、それを背景にそびえ立つ富士山は、見る者の心を奪う雄大な風景を描写しています。

絵画からは、東側の稲村ヶ崎周辺から富士山を望んでいる様子が伺えます。画面中央に位置する岬は小動岬、左側に描かれた島は江の島と推測されており、その正確な描写は北斎の観察眼の鋭さを示しています。特徴的なのは、手前に配置された小高い丘です。これは鎌倉山ではないかと考えられており、この丘が富士山をさらに際立たせる効果を生み出しています。北斎は、人物描写を排することで、自然の雄大さをより強調することに成功しています。

「相州七里浜」の構図は、寛政9年(1797年)に刊行された狂歌本『柳の絲』に収録されている挿絵「江島春望」と類似しています。しかし、「相州七里浜」では、富士山が実物よりも大きく描かれ、より存在感を増しています。また、画面全体の構成や、ベロ藍を効果的に用いた色彩表現は、山水画の影響を強く受けていることがわかります。北斎は、浮世絵の枠にとらわれず、様々な画法を取り入れ、独自の表現を追求していたことが見て取れます。

さらに興味深いのは、後摺版における変化です。初期の摺りでは、手前の丘は比較的淡い色合いでしたが、後摺版では緑色に変化しています。これは、時間の経過とともに絵の具の色の変化や、版木の劣化などが影響していると考えられます。また、空の表現方法も初期と後摺版で異なっており、初期にはぼかし上げが、後摺版では天ぼかしが使われています。これらの違いは、摺り師の技術や、当時の印刷技術の進歩なども反映していると言えるでしょう。

「相州七里浜」は、単なる風景画にとどまらず、北斎の芸術的探求、そして時代の技術革新を垣間見ることができる貴重な作品です。雄大な富士山と、繊細な描写が巧みに融合したこの作品は、北斎が自然への深い愛情と、革新的な表現技法を駆使して生み出した、まさに傑作と言えるでしょう。その緻密な描写と、大胆な構図は、見る者に深い感動を与え続けることでしょう。北斎の他の作品と比較検討することで、『冨嶽三十六景』全体の構成や、北斎の芸術性への理解を深めることができるでしょう。

参考文献

日野原健司『富嶽三十六景』岩波書店、2019年。ISBN 978-4-00-335811-5
磯崎康彦「北斎の風景・風俗版画」『福島大学人間発達文化学類論集』34巻、福島大学人間発達文化学類、2021年、124-109頁。http://hdl.handle.net/10270/5478

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