矢田不二郎

矢田 不二郎

1902年（明治35年）8月20日に秋田県南秋田郡五城目町で生まれた矢田不二郎は、後に大和生命保険相互会社の第五代取締役社長を務めた実業家です。また、小説家として知られる矢田津世子の実兄であり、その妹の人生や文学活動に多大な影響を与えた人物としても記憶されています。

五城目町の助役を務めた父・鉄三郎と母・チヱの間に、九人きょうだいの次男として誕生しました。幼くして四人の兄弟姉妹を亡くし、さらにすぐ下の弟も成人前に病死したため、成人したのは姉、兄、不二郎、そして五歳年下の妹・津世子の四人だけでした。

秋田中学に進学しますが、父の退職とそれに伴う秋田市への転居、さらに1916年（大正5年）の上京により、明治中学（現在の明治大学付属明治高等学校・中学校）へ転校します。その後、第一高等学校を経て、1923年（大正12年）には東京帝国大学法学部法律学科へ進学しました。

不二郎自身はかねてから小説家を志していましたが、上京後の父の仕事が順調でなかったことから家計が苦しくなり、1925年（大正14年）に父が他界した後は、一家を支えるため早期に就職する必要に迫られ、文学の道を断念せざるを得ませんでした。この頃、姉は秋田で嫁いでおり、兄もすでに実家を出ていたため、母と妹との三人暮らしとなり、不二郎は一家の大黒柱として生計を担いました。

大学を卒業した翌年の1926年（大正15年）、不二郎は大和生命の前身である日本徴兵保険株式会社に入社します。翌年から1932年（昭和7年）まで名古屋支店に勤務しました。この名古屋での生活は、妹・津世子の文学活動にとって重要な時期となります。不二郎は、東京から母と津世子を名古屋に呼び寄せ同居。兄妹揃って名古屋の同人誌「第一文学」に参加し、不二郎は「守山不二郎」の筆名でアントン・チェーホフの翻訳などを発表しました。津世子もこの時期、「女人芸術」名古屋支部の活動に参加するなど、小説家としての基盤を固めていきました。

1932年、不二郎は東京本社へ転勤となり、約一年半ほど前に先に東京へ戻り、目白文化村で一人暮らしをしていた妹・津世子を呼び寄せ、下落合（現在の新宿区中井付近）に一軒家を借りて再び同居を始めます。この下落合の家は、津世子を通じて知り合った多くの作家仲間や文壇関係者が集まる場となりました。また、美貌で知られた津世子には多くの求婚者が現れましたが、独身を通した不二郎は、妹を深く愛するあまり、厳しい視線でそれらの求愛を遠ざけたと言われています。

妹・津世子の文学的才能を見抜いた不二郎は、自らの文学への夢を妹に託すかのように、彼女の創作活動を強く勧めました。時に厳しく指導し、自身の経験や知識を伝えることで、妹の才能が開花するよう支え続けました。兄不二郎の存在は、津世子の作家人生にとって不可欠なものでした。

会社のキャリアとしては、1940年（昭和15年）に契約課長、翌年には理事補に昇進。1945年（昭和20年）には常務取締役・理事に就任しました。終戦後、日本徴兵保険株式会社は大和生命保険相互会社へと改組されます。そして、1971年（昭和46年）3月、第四代社長の急逝に伴い、68歳で取締役社長に就任しました。約四年間社長を務め、1975年（昭和50年）5月に退任しています。

妹・津世子が結核のため36歳で短い生涯を閉じたのは1944年（昭和19年）のことでした。不二郎はその後も、妹と暮らした下落合4丁目（現在の新宿区中井2丁目）の自宅に住み続け、津世子の遺品を大切に保管し続けました。この自宅は山手通りの拡張工事により現存しませんが、津世子の遺品の一部は、二人の故郷である五城目町の矢田津世子文学記念室で公開されており、兄妹の絆の深さを今に伝えています。

晩年は、東京都板橋区の東京都養育院付属病院（現在の東京都健康長寿医療センター）で過ごし、1981年（昭和56年）1月29日、心不全のため78歳でその生涯を閉じました。

矢田不二郎は、企業経営者としての顔を持ちながらも、妹・矢田津世子の文学活動を献身的に支え、その才能を育んだ文学的素養のある人物として、その兄妹関係は文学史においても特筆されるべきエピソードとなっています。

もう一度検索