石井宏 (音楽評論家)

石井 宏（いしい ひろし）

石井宏は、1930年12月18日生まれの日本の音楽評論家です。神奈川県に生まれ、妻はピアニストの松岡三恵です。長年にわたり、音楽評論や著作活動を通じて、既存の音楽史観や社会に対する独自の視点を発信し続けています。

彼の経歴はユニークです。太平洋戦争中に特攻隊員を志願して養成所に入所しますが、終戦によりその道は閉ざされます。その後、旧制湘南中学校、旧制静岡高等学校を経て、1953年に東京大学文学部美学科を卒業。さらに学士入学で東京大学文学部仏文科も修了しました。大学卒業後は、日本楽器株式会社（現・ヤマハ）および東京放送（現・東京放送ホールディングス）での勤務を経て、フリーランスの文筆業へと転じました。

フリーとなってからは、音楽評論家として精力的に活動します。執筆活動に加え、NHK-FMでの音楽解説や、NHK総合テレビ「ナイトジャーナル」でのCD評担当など、メディアにも多数出演しました。また、自身が主宰するオーケストラでクラリネット奏者としても活動するなど、理論と実践の両面から音楽に深く関わっています。

石井氏は特にモーツァルト研究の第一人者として知られ、『素顔のモーツァルト』をはじめとする多くの著作を刊行しています。しかし、その関心は特定の作曲家にとどまりません。『クラシック音楽意外史』や『帝王から音楽マフィアまで』といった著作では、音楽界の隠された側面や構造に鋭く切り込みました。

彼の代表作の一つに、2004年刊行の『反音楽史 さらば、ベートーヴェン』があります。この著作で彼は、従来の音楽史において18世紀のイタリア音楽が軽視され、あたかも最初からドイツ音楽が優位であったかのように語られてきた現状に異を唱え、その是正を訴えました。この革新的な史観は高く評価され、同書は第20回山本七平賞を受賞しました。

音楽分野以外にも、石井氏はその知的好奇心を発揮しています。自身の戦中体験とも関連するテーマとして、特攻隊員と母の交流を描いたノンフィクション『ホタル帰る、特攻隊員と母トメと娘礼子』を共著で刊行。これは音楽関連以外の著作として初めてのものでした。さらに、初の小説作品『チョッちゃん』を発表するなど、表現の幅を広げています。

翻訳家としても多くの実績を持ち、モーツァルト関連の専門書やアルマ・マーラーの回想録といった音楽文献を中心に紹介しました。また、ジェームズ・クラヴェルの小説『キング・ラット チャンギ捕虜収容所』の翻訳も手がけるなど、その関心分野の広さを示しています。

特筆すべきは、一部で石井氏が覆面音楽評論家、八田利一および加茂川洗耳の正体ではないかとの憶測がある点です。これらの評論家は月刊誌上で辛辣な批評を展開し、しばしば物議を醸しました。音楽関連の編集者であった中曽根松衛氏などが、覆面評論家の経歴や評論スタイルが石井氏と一致することを指摘しており、この説は根強く囁かれています。この覆面説は、石井氏の評論家としての鋭く、時に挑発的なスタンスを象徴しているとも言えるでしょう。

石井宏氏は、その多様な経歴と広範な知識、そして何物にもとらわれない自由な精神をもって、日本の音楽評論界に独自の足跡を残しました。常に物事の本質を見抜こうとする彼の姿勢は、多くの読者に新たな気づきを与え続けています。

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