福江大火
福江大火は、1962年（昭和37年）9月26日未明に長崎県福江市（現在の五島市）の中心部で発生した、戦後長崎県下で最大規模の火災です。市街地の大部分が炎に包まれ、甚大な被害をもたらしましたが、一人も犠牲者を出さなかった点でも特筆されます。
火災は午前2時10分頃、市街地の北端に位置する東浜町の九州商船福江支店倉庫付近から発生しました。消防庁の調査では、マッチの火が原因とされています。出火後、火勢はみるみるうちに強まりました。当時、波浪注意報が出るほどの強い北北東の風が浜から吹き付けており、火炎はこれを追い風にして海岸通りから中心商店街へと猛烈な勢いで燃え広がったのです。さらに数日前からの乾燥した空気も延焼を助長しました。炎は勢いを増しながら、実に6時間にもわたって燃え続けました。
午前8時10分頃にようやく鎮火しましたが、市街地の約8割にあたる604戸が灰燼に帰しました。中心部は草木一本残らぬ焼け野原となり、遮るものがなく海が見渡せるほどだったといいます。市役所をはじめ、消防車庫、長崎県五島支庁、税務署、警察署、公立五島病院など、主要な公共機関のほとんどが焼失し、民間の診療所や薬局も多くが失われました。
これほどまでに被害が拡大した背景には、いくつかの要因が挙げられます。まず、前述の悪天候に加え、出火元が風下にあたる市街地に近かったことが挙げられます。また、当時の福江市には消防署がなく、初期消火の体制が不十分でした。消防車も4台しかなく、主力は小型の動力ポンプでした。さらに、消火用水の確保が大きな課題となりました。火災発生時は干潮で海水を取水できず、水道水も各家庭での消火や消火栓の使用により水圧が低下しました。海水取水のために人力で水路を掘り下げる作業をしている間にも、火は市街地へ容赦なく進んでいきました。
消防団員の活動も困難を極めました。密集した家屋が燃え上がることで街中には猛烈な熱風が吹き荒れましたが、消防団員の標準装備はハッピのみで、熱風から身を守るためには現地で雨戸などを調達する必要がありました。装備の把握も困難で、応援を呼ぶ余裕もないほど目の前の消火活動に忙殺されました。島内他地域からの応援が到着した頃には、すでに火災発生から3時間以上が経過し、市庁舎や病院までが炎上している状況でした。特に裸眼で消火にあたった多くの消防団員は、目に異物が刺さるなどの負傷を負いました。都市構造も火災に弱いものでした。商店街には木造の建物が密集し、道幅は狭く、防火壁も備えられていませんでした。石田城の城下町としての町並みがそのまま引き継がれており、火災が広がりやすい環境に何ら対策が講じられていなかったのです。狭い通路はかえって火炎の通り道となり、密集した家屋を次々と焼き尽くし、飛び火による延焼区域の拡大を招きました。これらの詳細な原因究明は、その後の復興計画策定に活かされました。
これほどの被害規模にもかかわらず、死者が一人も出なかったことは「奇跡」と称えられます。その背景には、当時の福江警察署長や福江市長といったリーダーたちの迅速かつ適切な判断と行動がありました。彼らは火災現場の最前線で陣頭指揮を執り、市民への避難誘導を徹底しました。特に、私財を取りに戻ろうとする市民に対しては、警察署長が「命と荷物とどっちが大事だ。荷物に構うな」と一喝して通行を遮断するなど、人命を最優先する強い姿勢を示しました。また、被害が拡大する可能性を予測し、病院の入院患者を早期に安全な場所へ避難させた対応も功を奏しました。「人命救助に全力を尽くせ。特に各病院の入院患者を安全な場所に移せ。素早く的確に徹底的に行なえ」という当時の命令は、人命救助への強い意志を伝えています。
福江大火からの復興は、単なる元の姿への再建にとどまりませんでした。焼け野原となった市街地では、大胆な土地区画整理事業が実施され、火災前のおよそ2倍に拡幅された街路など、現代的な防火都市としての機能を備えた町へと生まれ変わりました。特に、防火機能と将来の交通量、美観を考慮した街路計画では、幅16メートルもの歩車分離道路が導入されるなど、離島地域としては前例のない試みが行われました。復興事業には、自衛隊が人員と重機を提供して瓦礫撤去や整地作業にあたったほか、地元の消防団、青年団、婦人会、さらには中高生まで多くの市民が協力しました。この市民の力によって復興が成し遂げられたことを記念し、1966年（昭和41年）1月には市庁舎前に復興記念碑が建立されています。
復興過程では、多岐にわたる支援活動も行われました。火災発生直後から、航空自衛隊や海上自衛隊が部隊を派遣し、救援物資の陸揚げや瓦礫撤去、整地などの復旧作業に従事しました。日本赤十字社をはじめ、全国各地からも食料品や日用品などの救援物資が多数到着しました。これらの膨大な物資の仕分け作業は、被災者自身である学生や婦人会、官公署職員が献身的に行いました。また、被災者のために無料診療所が設置され、炊き出しや給食も実施されました。復興期の物価高騰を防ぐため、婦人会による日用品・生鮮食品の販売所が設けられ、市価の半額ほどで提供されました。建材価格安定のための施策や、九州商船フェリーや五島バスによる運賃優遇措置も講じられ、被災者の生活再建が支援されました。治安維持のため、県警から緊急機動部隊が派遣され、臨時派出所が設置されるなどの対策も取られました。
しかし、復興計画の推進は容易なものではありませんでした。特に大胆な土地区画整理事業案、中でも街路計画は、多くの被災者、とりわけ商店街住民からの強い反発を招きました。計画案が提示されると、住民側は「福江市区画整理対策委員会」を結成し、反対運動が本格化しました。当時の福江市長は連日罵倒されるなど激しい非難にさらされ、警察官の護衛が必要な状況に陥ったほどです。県知事にも数百通もの反対電報が届きました。しかし、市側が町内会ごとに粘り強く説明会を重ねるうちに、市民の中から計画賛成派が増加し、「区画整理促進委員会」が設立されるなど状況は変化していきました。最終的には、住民の反対を押し切る形で工事が進められ、事業が進捗するにつれて反対運動の勢いは衰え、大火から4年後の1966年夏に復興事業は完了しました。
福江大火は、五島市だけでなく日本全体にも影響を与えました。この大火は、1962年9月に公布されたばかりの激甚災害法において、当初は対象外だった地域災害として初めて指定された事例となりました。また、この経験は日本の防火防災体制を見直す契機となり、1964年（昭和39年）には人口3万人以上の都市に常備消防を義務付ける政令が制定される一因となりました。文化的な面では、土地区画整理による町の分断が地域行事の断絶を招いた影響もありましたが、一方で、作家の西川武治氏が島を訪れて詠んだ詩が長崎県全体での「花いっぱい運動」のきっかけになったとも言われています。
福江大火は、都市構造の脆弱性、消防力の不足、自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけましたが、同時に、人命を最優先するリーダーシップ、市民の協力、国内外からの温かい支援、そして困難を乗り越え近代的な防火都市を築き上げた復興への強い意志を示す出来事として、五島市の歴史に深く刻まれています。
火災は午前2時10分頃、市街地の北端に位置する東浜町の九州商船福江支店倉庫付近から発生しました。消防庁の調査では、マッチの火が原因とされています。出火後、火勢はみるみるうちに強まりました。当時、波浪注意報が出るほどの強い北北東の風が浜から吹き付けており、火炎はこれを追い風にして海岸通りから中心商店街へと猛烈な勢いで燃え広がったのです。さらに数日前からの乾燥した空気も延焼を助長しました。炎は勢いを増しながら、実に6時間にもわたって燃え続けました。
午前8時10分頃にようやく鎮火しましたが、市街地の約8割にあたる604戸が灰燼に帰しました。中心部は草木一本残らぬ焼け野原となり、遮るものがなく海が見渡せるほどだったといいます。市役所をはじめ、消防車庫、長崎県五島支庁、税務署、警察署、公立五島病院など、主要な公共機関のほとんどが焼失し、民間の診療所や薬局も多くが失われました。
これほどまでに被害が拡大した背景には、いくつかの要因が挙げられます。まず、前述の悪天候に加え、出火元が風下にあたる市街地に近かったことが挙げられます。また、当時の福江市には消防署がなく、初期消火の体制が不十分でした。消防車も4台しかなく、主力は小型の動力ポンプでした。さらに、消火用水の確保が大きな課題となりました。火災発生時は干潮で海水を取水できず、水道水も各家庭での消火や消火栓の使用により水圧が低下しました。海水取水のために人力で水路を掘り下げる作業をしている間にも、火は市街地へ容赦なく進んでいきました。
消防団員の活動も困難を極めました。密集した家屋が燃え上がることで街中には猛烈な熱風が吹き荒れましたが、消防団員の標準装備はハッピのみで、熱風から身を守るためには現地で雨戸などを調達する必要がありました。装備の把握も困難で、応援を呼ぶ余裕もないほど目の前の消火活動に忙殺されました。島内他地域からの応援が到着した頃には、すでに火災発生から3時間以上が経過し、市庁舎や病院までが炎上している状況でした。特に裸眼で消火にあたった多くの消防団員は、目に異物が刺さるなどの負傷を負いました。都市構造も火災に弱いものでした。商店街には木造の建物が密集し、道幅は狭く、防火壁も備えられていませんでした。石田城の城下町としての町並みがそのまま引き継がれており、火災が広がりやすい環境に何ら対策が講じられていなかったのです。狭い通路はかえって火炎の通り道となり、密集した家屋を次々と焼き尽くし、飛び火による延焼区域の拡大を招きました。これらの詳細な原因究明は、その後の復興計画策定に活かされました。
これほどの被害規模にもかかわらず、死者が一人も出なかったことは「奇跡」と称えられます。その背景には、当時の福江警察署長や福江市長といったリーダーたちの迅速かつ適切な判断と行動がありました。彼らは火災現場の最前線で陣頭指揮を執り、市民への避難誘導を徹底しました。特に、私財を取りに戻ろうとする市民に対しては、警察署長が「命と荷物とどっちが大事だ。荷物に構うな」と一喝して通行を遮断するなど、人命を最優先する強い姿勢を示しました。また、被害が拡大する可能性を予測し、病院の入院患者を早期に安全な場所へ避難させた対応も功を奏しました。「人命救助に全力を尽くせ。特に各病院の入院患者を安全な場所に移せ。素早く的確に徹底的に行なえ」という当時の命令は、人命救助への強い意志を伝えています。
福江大火からの復興は、単なる元の姿への再建にとどまりませんでした。焼け野原となった市街地では、大胆な土地区画整理事業が実施され、火災前のおよそ2倍に拡幅された街路など、現代的な防火都市としての機能を備えた町へと生まれ変わりました。特に、防火機能と将来の交通量、美観を考慮した街路計画では、幅16メートルもの歩車分離道路が導入されるなど、離島地域としては前例のない試みが行われました。復興事業には、自衛隊が人員と重機を提供して瓦礫撤去や整地作業にあたったほか、地元の消防団、青年団、婦人会、さらには中高生まで多くの市民が協力しました。この市民の力によって復興が成し遂げられたことを記念し、1966年（昭和41年）1月には市庁舎前に復興記念碑が建立されています。
復興過程では、多岐にわたる支援活動も行われました。火災発生直後から、航空自衛隊や海上自衛隊が部隊を派遣し、救援物資の陸揚げや瓦礫撤去、整地などの復旧作業に従事しました。日本赤十字社をはじめ、全国各地からも食料品や日用品などの救援物資が多数到着しました。これらの膨大な物資の仕分け作業は、被災者自身である学生や婦人会、官公署職員が献身的に行いました。また、被災者のために無料診療所が設置され、炊き出しや給食も実施されました。復興期の物価高騰を防ぐため、婦人会による日用品・生鮮食品の販売所が設けられ、市価の半額ほどで提供されました。建材価格安定のための施策や、九州商船フェリーや五島バスによる運賃優遇措置も講じられ、被災者の生活再建が支援されました。治安維持のため、県警から緊急機動部隊が派遣され、臨時派出所が設置されるなどの対策も取られました。
しかし、復興計画の推進は容易なものではありませんでした。特に大胆な土地区画整理事業案、中でも街路計画は、多くの被災者、とりわけ商店街住民からの強い反発を招きました。計画案が提示されると、住民側は「福江市区画整理対策委員会」を結成し、反対運動が本格化しました。当時の福江市長は連日罵倒されるなど激しい非難にさらされ、警察官の護衛が必要な状況に陥ったほどです。県知事にも数百通もの反対電報が届きました。しかし、市側が町内会ごとに粘り強く説明会を重ねるうちに、市民の中から計画賛成派が増加し、「区画整理促進委員会」が設立されるなど状況は変化していきました。最終的には、住民の反対を押し切る形で工事が進められ、事業が進捗するにつれて反対運動の勢いは衰え、大火から4年後の1966年夏に復興事業は完了しました。
福江大火は、五島市だけでなく日本全体にも影響を与えました。この大火は、1962年9月に公布されたばかりの激甚災害法において、当初は対象外だった地域災害として初めて指定された事例となりました。また、この経験は日本の防火防災体制を見直す契機となり、1964年（昭和39年）には人口3万人以上の都市に常備消防を義務付ける政令が制定される一因となりました。文化的な面では、土地区画整理による町の分断が地域行事の断絶を招いた影響もありましたが、一方で、作家の西川武治氏が島を訪れて詠んだ詩が長崎県全体での「花いっぱい運動」のきっかけになったとも言われています。
福江大火は、都市構造の脆弱性、消防力の不足、自然災害の恐ろしさをまざまざと見せつけましたが、同時に、人命を最優先するリーダーシップ、市民の協力、国内外からの温かい支援、そして困難を乗り越え近代的な防火都市を築き上げた復興への強い意志を示す出来事として、五島市の歴史に深く刻まれています。
もう一度検索
【記事の利用について】
タイトルと記事文章は、記事のあるページにリンクを張っていただければ、無料で利用できます。
※画像は、利用できませんのでご注意ください。
【リンクついて】
リンクフリーです。