粟粒熱
粟粒熱（ぞくりゅうねつ、Sweating sickness）は、15世紀末から16世紀にかけて、主にイングランドで猛威を振るった原因不明の恐ろしい病です。ラテン語では「英国の発汗病」（sudor anglicus）とも呼ばれ、その名の通り激しい発汗を伴うのが特徴でした。非常に急激に発症し、発病からわずか数時間で死に至ることもあったため、当時の人々を恐怖に陥れました。1485年に最初の記録があり、1551年以降は確認されていない謎の疾患です。
粟粒熱は、1485年、ヘンリー7世がイングランドに上陸した直後に最初の流行が始まったとされています。この病は急速に広がり、ヘンリー7世がロンドンに入ると、首都で大流行を引き起こし、その年の終わりまでに数千人の命が失われました。この中には、当時のロンドン市長や行政官僚など、市の要職にある人々も含まれていました。従来のどの病気とも異なる、その急激な経過と命にかかわる性質から、「粟粒熱」という名で恐れられるようになりました。
その後も流行は繰り返されました。1507年には2回目の流行が発生しましたが、初回ほどではなかったとされます。1517年の3回目の流行はさらに広範囲に及び、一部の町では人口の半数近くが犠牲になったという記録も残っています。この流行は大陸のカレーやアントウェルペンにも及んだものの、基本的にはイングランド国内に留まっていました。
最も深刻だったのは1528年の4回目の大流行です。この時はロンドンで始まり、イングランド全土（北部、スコットランド、アイルランドを除く）に瞬く間に拡大しました。ロンドンでの死者は膨大な数に上り、国王ヘンリー8世でさえロンドンを離れ、居場所を転々とすることを余儀なくされました。この流行では、後にヘンリー8世の妃となるアン・ブーリンも感染しましたが、幸運にも回復したと伝えられています。この1528年の流行の特筆すべき点は、ヨーロッパ本土での突然の大規模な発生です。ドイツのハンブルクで突如出現し、わずか数週間で千人以上の死者を出しながら、猛烈な勢いで東ヨーロッパへと拡大しました。まるでコレラのようにスイス、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、リトアニア、ポーランド、ロシアといった地域に被害をもたらしました。フランスやイタリアは被害を免れましたが、ベルギーのアントウェルペンやオランダのアムステルダムでは、イングランドからの直接の伝播と考えられる発生が記録されています。ヨーロッパ本土での流行は短期間で、通常2週間ほどで収束し、スイスの一部を除いてその年のうちに終息しました。これ以降、大陸で粟粒熱が発生することはなかったのです。
アイルランドでは、イングランドより遅れて1492年に病気が到達したという記録があり、地元の貴族がこの病で死亡したと記されています。アイルランドの記録では「24時間で経過する奇妙な伝染病」として特徴が述べられており、幼い子供は感染しなかったとされます。ただし、このアイルランドでの記録が本当に粟粒熱だったのか、それとも回帰熱やチフスのような別の疾患だったのかについては、異論も存在します。
イングランドでは、1551年に最後の大きな流行がありました。この時の様子は、当時著名な医師であったジョン・カイウスが、『粟粒熱と呼ばれる病気にたいする対処法』という書物に残しています。
粟粒熱の症状は、カイウスらの記述によれば、非常に特徴的です。まず、突然の体調不良とともに、激しい寒気と震えが襲います。これは30分から3時間ほど続くことがあります。めまい、頭痛、極度の疲労感、首・肩・手足の強い痛みが伴うことも多いです。寒気が治まると、一転して発熱が生じ、突然、前兆なく激しい発汗が始まります。この特徴的な発汗こそが、病名の由来となっています。汗とともに、体中の熱さ、頭痛、精神的な混乱、脈拍の上昇、異常な喉の渇きを訴えます。動悸や心臓の痛みもよく見られる症状でした。興味深いことに、カイウスを含む多くの記録で皮膚の発疹についての言及は少ないです。病気が進行すると、患者は急速に衰弱し、意識を失って死に至ることもありました。病気の期間が非常に短いため、たとえ一時的に回復しても、病気に対する免疫はほとんど得られなかったと考えられています。
粟粒熱は、イングランドで1578年に発生が記録されたのを最後に、完全に姿を消しました。しかし、フランスでは18世紀から19世紀にかけて、ピカルディ熱と呼ばれる類似の病気が確認されています。ピカルディ熱は粟粒熱ほど致命的ではなく、また粟粒熱ではほとんど見られなかった発疹を伴う点で異なっていました。
粟粒熱の原因については、現在でも特定されていません。最初の流行がばら戦争終結後、ヘンリー7世が連れてきた傭兵によってもたらされたという説や、シラミやダニが媒介する回帰熱との関連を指摘する説があります。また、近年ではハンタウイルス感染症との類似性が議論されています。特にハンタウイルス肺症候群（HPS）の症状は粟粒熱と似ている部分がありますが、粟粒熱が人から人へ容易に感染したと考えられるのに対し、ハンタウイルスは通常、人への感染は稀で、人から人への感染は極めて稀であるという点で異なります。さらに、粟粒熱が当時の貧困層よりも富裕層に多く見られたという観察も、その原因を特定する上で考慮すべき点とされています。結局のところ、これらの説はいずれも決定的な証拠に欠けており、粟粒熱がなぜ突如出現し、なぜ特定の集団を襲い、そしてなぜ突然姿を消したのかは、現代においても医学史上の大きな謎として残されています。
流行の歴史
粟粒熱は、1485年、ヘンリー7世がイングランドに上陸した直後に最初の流行が始まったとされています。この病は急速に広がり、ヘンリー7世がロンドンに入ると、首都で大流行を引き起こし、その年の終わりまでに数千人の命が失われました。この中には、当時のロンドン市長や行政官僚など、市の要職にある人々も含まれていました。従来のどの病気とも異なる、その急激な経過と命にかかわる性質から、「粟粒熱」という名で恐れられるようになりました。
その後も流行は繰り返されました。1507年には2回目の流行が発生しましたが、初回ほどではなかったとされます。1517年の3回目の流行はさらに広範囲に及び、一部の町では人口の半数近くが犠牲になったという記録も残っています。この流行は大陸のカレーやアントウェルペンにも及んだものの、基本的にはイングランド国内に留まっていました。
最も深刻だったのは1528年の4回目の大流行です。この時はロンドンで始まり、イングランド全土（北部、スコットランド、アイルランドを除く）に瞬く間に拡大しました。ロンドンでの死者は膨大な数に上り、国王ヘンリー8世でさえロンドンを離れ、居場所を転々とすることを余儀なくされました。この流行では、後にヘンリー8世の妃となるアン・ブーリンも感染しましたが、幸運にも回復したと伝えられています。この1528年の流行の特筆すべき点は、ヨーロッパ本土での突然の大規模な発生です。ドイツのハンブルクで突如出現し、わずか数週間で千人以上の死者を出しながら、猛烈な勢いで東ヨーロッパへと拡大しました。まるでコレラのようにスイス、デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、リトアニア、ポーランド、ロシアといった地域に被害をもたらしました。フランスやイタリアは被害を免れましたが、ベルギーのアントウェルペンやオランダのアムステルダムでは、イングランドからの直接の伝播と考えられる発生が記録されています。ヨーロッパ本土での流行は短期間で、通常2週間ほどで収束し、スイスの一部を除いてその年のうちに終息しました。これ以降、大陸で粟粒熱が発生することはなかったのです。
アイルランドでは、イングランドより遅れて1492年に病気が到達したという記録があり、地元の貴族がこの病で死亡したと記されています。アイルランドの記録では「24時間で経過する奇妙な伝染病」として特徴が述べられており、幼い子供は感染しなかったとされます。ただし、このアイルランドでの記録が本当に粟粒熱だったのか、それとも回帰熱やチフスのような別の疾患だったのかについては、異論も存在します。
イングランドでは、1551年に最後の大きな流行がありました。この時の様子は、当時著名な医師であったジョン・カイウスが、『粟粒熱と呼ばれる病気にたいする対処法』という書物に残しています。
症状
粟粒熱の症状は、カイウスらの記述によれば、非常に特徴的です。まず、突然の体調不良とともに、激しい寒気と震えが襲います。これは30分から3時間ほど続くことがあります。めまい、頭痛、極度の疲労感、首・肩・手足の強い痛みが伴うことも多いです。寒気が治まると、一転して発熱が生じ、突然、前兆なく激しい発汗が始まります。この特徴的な発汗こそが、病名の由来となっています。汗とともに、体中の熱さ、頭痛、精神的な混乱、脈拍の上昇、異常な喉の渇きを訴えます。動悸や心臓の痛みもよく見られる症状でした。興味深いことに、カイウスを含む多くの記録で皮膚の発疹についての言及は少ないです。病気が進行すると、患者は急速に衰弱し、意識を失って死に至ることもありました。病気の期間が非常に短いため、たとえ一時的に回復しても、病気に対する免疫はほとんど得られなかったと考えられています。
終息と原因に関する考察
粟粒熱は、イングランドで1578年に発生が記録されたのを最後に、完全に姿を消しました。しかし、フランスでは18世紀から19世紀にかけて、ピカルディ熱と呼ばれる類似の病気が確認されています。ピカルディ熱は粟粒熱ほど致命的ではなく、また粟粒熱ではほとんど見られなかった発疹を伴う点で異なっていました。
粟粒熱の原因については、現在でも特定されていません。最初の流行がばら戦争終結後、ヘンリー7世が連れてきた傭兵によってもたらされたという説や、シラミやダニが媒介する回帰熱との関連を指摘する説があります。また、近年ではハンタウイルス感染症との類似性が議論されています。特にハンタウイルス肺症候群（HPS）の症状は粟粒熱と似ている部分がありますが、粟粒熱が人から人へ容易に感染したと考えられるのに対し、ハンタウイルスは通常、人への感染は稀で、人から人への感染は極めて稀であるという点で異なります。さらに、粟粒熱が当時の貧困層よりも富裕層に多く見られたという観察も、その原因を特定する上で考慮すべき点とされています。結局のところ、これらの説はいずれも決定的な証拠に欠けており、粟粒熱がなぜ突如出現し、なぜ特定の集団を襲い、そしてなぜ突然姿を消したのかは、現代においても医学史上の大きな謎として残されています。
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