ハンタウイルス肺症候群

ハンタウイルス肺症候群（Hantavirus Pulmonary Syndrome; HPS）またはハンタウイルス心肺症候群（Hantavirus Cardiopulmonary Syndrome; HCPS）は、南北アメリカ大陸に生息する特定の齧歯類、特にキヌゲネズミ科のアメリカネズミ亜科やウッドラット亜科といった動物を主な保有動物とするハンタウイルス、通称「新世界ハンタウイルス」によって引き起こされる重篤な感染症です。

概要と歴史

この疾患が注目されるようになったのは、1993年に米国で初めてHPSの原因ウイルスであるSin Nombre virus（その名の通り「名無しウイルス」を意味します）が特定されて以降です。それ以来、現在までに2000例を超える患者が報告されており、これに関連する多くのハンタウイルスが見出されています。主な原因ウイルスは地域によって異なり、北アメリカ大陸では主にSin Nombre virusが、南アメリカ大陸では主にAndes virusのグループが確認されています。

新世界ハンタウイルスの種類によって病原性は様々です。感染経路は基本的に、ウイルスを保有する齧歯類からのヒトへの伝播であり、ヒトからヒトへの感染は稀とされています。しかしながら、南米で確認されているAndes virusのある特定の系統では、ヒト-ヒト感染が発生し、問題視されました。

原因ウイルスと致死率

ハンタウイルスはブニヤウイルス科ハンタウイルス属に分類されるウイルスです。南北アメリカ大陸に存在する新世界ハンタウイルスのうち、一部の種がHPSの原因となります。それぞれのウイルス種によって病原性や致死率が異なります。

代表的な新世界ハンタウイルスとその致死率（報告により変動あり）は以下の通りです。

Sin Nombre virus: 約40%
Andes virus: 約43-56%（ヒト-ヒト感染の報告あり）
Laguna Negra virus: 約15%
Black Creek Canal virus
Bayou virus
Rio Segundo virus（病原性不明）
Cano Delgadito virus（病原性不明）

上記以外にも、国際ウイルス分類委員会（ICTV）によって多くの新世界ハンタウイルス種が登録されています。

症状と病気の進行

発症初期には、発熱、筋肉痛、寒気、吐き気、嘔吐、下痢、全身の倦怠感といった、あたかも風邪のような症状が現れます。これに加え、関節痛や背中の痛み、胸痛、腹痛、咳、喉の痛み、頭痛などを訴える場合もあります。

HPSは初期症状から急速に病状が悪化することが特徴です。特に呼吸器症状が進行し、肺に水が溜まる肺水腫を伴う重度の呼吸困難を引き起こします。最終的な死亡原因は肺水腫そのものではなく、心臓の機能が低下する心原性ショックであると考えられています。現在、この疾患に対するワクチンや効果的な治療薬は確立されておらず、治療は症状を和らげるための対症療法が中心となります。

臨床的な病気の経過は、通常以下の5つの段階に分けられます。

1. 潜伏期: ウイルス感染から症状が出始めるまでの期間。
2. 前駆症状期: 風邪に似た初期症状が現れる期間。
3. 心肺症状期: 呼吸困難や肺水腫が顕著になり、心機能の低下が見られる最も重篤な期間。多くの患者がこの時期に命を落とします。
4. 利尿期: 病状が改善に向かう兆候として、尿量が増加する時期。
5. 回復期: 徐々に症状が回復していく期間。

診断と検査所見

HPSの診断においては、特徴的な臨床症状に加え、血液検査が重要な情報を提供します。一般的な検査所見としては、血小板数の減少、白血球数の増加、そして血液が濃縮される所見が見られます。

病理学的な検査により、ウイルス抗原は広範な臓器に分布していることが確認されています。特にSin Nombre virusに感染した患者の組織では、肺だけでなく、腎臓、心臓、脾臓、膵臓、リンパ節、骨格筋、腸、副腎、脂肪組織、膀胱、脳など、多岐にわたる臓器でウイルスの存在が認められています。

治療

現在、ハンタウイルス肺症候群に対する特定の抗ウイルス薬やワクチンは存在しません。治療は、呼吸管理（人工呼吸器など）や循環管理といった、症状に応じた支持療法（対症療法）が主体となります。

ハンタウイルス肺症候群