素浪人罷通る

『素浪人罷通る』：戦後日本の時代劇に刻まれた、ひとつの抵抗と希望

1947年、敗戦後の日本。時代劇映画界は、GHQ（連合国軍最高司令官総司令部）の剣戟（チャンバラ）禁止令という大きな制約を課せられていた。その中で、時代劇の面白さを改めて世に問おうとしたのが、巨匠・伊藤大輔監督である。本作『素浪人罷通る』は、そうした困難な状況下で製作された、戦後最初の時代劇として、日本の映画史にその名を刻んでいる。

伊藤監督は、これまでも多くの作品で自ら脚本も手掛けてきたが、本作では八尋不二を脚本家として起用。これは、監督自身の新たな挑戦を示唆していると言えるだろう。物語のベースとなっているのは、天一坊事件。この事件を、伊藤監督は「封建制度の轍の下に圧し潰された　罪無き人の子の記録」という視点で捉え、映画化を試みた。

この作品に、当時助監督として参加した加藤泰（後の著名な監督）は、若き日の伊藤監督の姿に驚きを隠せなかったと、のちに回顧録の中で語っている。加藤泰は伊藤大輔監督の『続大岡政談　魔像篇第一』（1930年）に強い影響を受け、活動弁士を志した人物。伊藤監督への敬愛の念を込めて本作に参加したと言えるだろう。

物語の中心は、徳川吉宗の実子とされる天一坊。彼は山伏として生きてきたが、自分の身分を知り、実父である吉宗に会うため江戸城へ向かう。天一坊は、将軍の座を奪おうなどという野望は一切抱いていない。ただ、一度も会ったことのない父親に会いたい、という純粋な願いのみを胸に秘めているのだ。しかし、老中松平伊豆守は、幕府の権威を守るという名目で、天一坊を罪人に仕立て上げようとする。

そこに現れるのが、浪人・山内伊賀亮。天一坊の純粋な心に感銘を受けた伊賀亮は、彼に仕え、幕府の陰謀から天一坊を守るため、自らの命を賭けて立ち上がる。まさに、正義と権力、そして人間の心の葛藤が描かれる物語である。

豪華キャスト陣も本作の魅力のひとつ。阪東妻三郎が山内伊賀亮を、守田勘彌が徳川吉宗を、大友柳太郎が松平伊豆守を演じるなど、錚々たる俳優陣が時代劇の重厚な世界観を支えている。若き日の津川雅彦（旧芸名：沢村マサヒコ）の姿も見ることができるのも、ファンにとっては見逃せないポイントだろう。

『素浪人罷通る』は、単なる時代劇にとどまらない。戦後の混乱期において、自由と正義、そして人間の尊厳を問いかける、普遍的なテーマを内包している作品である。時代劇の枠を超え、現代の観客にも深く訴えかける力を持つ、伊藤大輔監督の代表作のひとつと言えるだろう。この作品が、戦後日本の時代劇映画に与えた影響は計り知れない。GHQの圧力下においても、時代劇の伝統と精神を強く主張し続けた、貴重な証言でもあるのだ。

参考文献

『時代劇映画の詩と真実』　伊藤大輔著　加藤泰編　1976年　キネマ旬報社
『映画読本 伊藤大輔』　佐伯知紀編　1996年　フィルムアート社
* 『加藤泰、映画を語る』　加藤泰著　山根貞男　安井嘉雄編　2013年　ちくま文庫

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