脊髄幹麻酔の歴史
脊髄幹麻酔の歴史は、19世紀後半に端を発します。鎮痛をもたらす局所麻酔薬の発見とその脊髄神経への応用が、現代の脊髄くも膜下麻酔や硬膜外麻酔へとつながる道のりを切り開きました。
1855年、薬剤師フリードリヒ・ゲードケは、コカ植物から主要な有効成分であるアルカロイドを単離することに成功し、「エリスロキシリン」と名付けました。これが後にコカインとして知られるようになります。この物質の局所麻酔作用は、1884年にオーストリアの眼科医カール・コラーによって初めて確認されました。彼は自身の目にコカイン溶液を点眼し、痛覚が消失することを確認する実験を行いました。彼の発表は、医学界に新たな局所麻酔法の可能性を示しました。
翌1885年には、外科医ウィリアム・スチュワート・ハルステッドが腕神経叢ブロックという神経伝達を遮断する手技を初めて実施しました。同年、ジェームズ・レナード・コーニングは、犬および健常な男性の下部腰椎にコカインを注入する実験を行いました。これは脊髄神経への薬物投与に関する最初の公開論文であり、脊髄幹ブロックの概念を提示した先駆的な試みでした。
脊髄くも膜下麻酔を臨床に応用したのは、ドイツの外科医アウグスト・ビーアです。1898年8月16日、彼はキールでこの麻酔法を用いた手術を行いました。この技術はすぐに日本にも紹介され、1901年には名古屋の北川乙次郎と金沢の東良平が、日本外科学会で臨床例を発表しています。
コーニングとビーアの研究発表後、どちらが脊髄くも膜下麻酔を最初に成功させたかという議論が持ち上がりました。コーニングの実験が時間的に先行していたことは確かですが、彼がコカインを注入した場所が、脊髄液が存在するくも膜下腔であったのか、あるいはその外側の硬膜外腔であったのかについて長年にわたり議論が続きました。コーニングが使用したコカイン量はビーアやテオドール・タフィエよりもはるかに多かったにもかかわらず、鎮痛効果の発現は遅く、感覚が麻痺する範囲も限定的でした。また、ビーアらが確認した脳脊髄液の流出について、コーニングは自身の報告で触れていませんでした。これらの点から、コーニングの注射は硬膜外腔に行われた可能性が高いと考えられています。さらに、コーニングのコカインの作用に関する理論、すなわち静脈循環を経て脊髄に作用するという説は誤りであったとされています。結論として、脊髄くも膜下麻酔を医学の実践に導入したのはビーアですが、その後の脊髄くも膜下麻酔および硬膜外麻酔の開発に繋がる実験的な基盤を築いたのはコーニングの功績と言えるでしょう。
20世紀に入ると、脊髄幹麻酔はさらに発展します。1901年には、ルーマニアの外科医ニコラエ・ラコヴィツァヌ=ピテシュティが、くも膜下腔にオピオイドを投与して鎮痛を得る方法を初めて報告しました。
1921年、スペイン軍医フィデル・パヘスが、現代の腰部硬膜外麻酔につながる手技を開発しました。この技術は、1930年代にイタリアの外科教授アキッレ・マリオ・ドリオッティによって広く普及しました。ドリオッティは、注射器のプランジャーに一定の圧力をかけながら針を進め、硬膜外腔に到達した際に生じる抵抗の変化で腔を特定する「抵抗消失法」を発表し、これは「ドリオッティの原理」とも呼ばれます。1931年には、ルーマニアの外科医・産科医オイゲン・アブレルが、陣痛初期に腰神経叢ブロックを行い、その後に分娩期に仙骨硬膜外注射を組み合わせた鎮痛法を初めて報告し、産科麻酔への応用を示唆しました。
持続的な脊髄幹麻酔技術もこの頃に開発されます。1941年10月から、ロバート・アンドリュー・ヒンソン、ワルド・B・エドワーズ、ジェームズ・L・サウスワースらは、ニューヨークの海兵隊病院で持続仙骨麻酔の手技を開発しました。彼らは、従来の単回注射ではなく、針を留置したまま局所麻酔薬を継続的に注入する方法を試みました。ヒンソンとサウスワースはまず静脈瘤除去手術でこの技術を応用し、その後ヒンソンは産科医エドワーズと協力して、出産時の鎮痛における持続仙骨麻酔の有効性を研究しました。彼らは仙骨領域の詳細な解剖学的研究を行い、脳脊髄液に影響を与えずに安全に麻酔薬を投与できる部位を特定しました。持続仙骨麻酔が陣痛中の女性に初めて使用されたのは1942年1月6日です。リウマチ性心疾患を持つために全身麻酔が危険視された妊婦の緊急帝王切開において用いられ、母子ともに救われました。
さらに、腰部硬膜外腔へのカテーテル留置が初めて報告されたのは1947年1月13日、キューバの麻酔科医マヌエル・マルティネス・クルベロによってです。彼は40歳の女性の卵巣嚢腫摘出術に際し、ツーイ針を用いて硬膜外腔にカテーテルを留置し、カテーテルを介して繰り返し局所麻酔薬を投与することで麻酔を維持しました。クルベロはこの成果を同年9月にニューヨークで開催された国際学会で発表し、脊髄幹麻酔の技術は新たな段階へと進展しました。
これらの先駆的な研究と技術革新が積み重なり、脊髄幹麻酔は現代医療において不可欠な麻酔法の一つとなっています。
局所麻酔薬の発見と初期の応用
1855年、薬剤師フリードリヒ・ゲードケは、コカ植物から主要な有効成分であるアルカロイドを単離することに成功し、「エリスロキシリン」と名付けました。これが後にコカインとして知られるようになります。この物質の局所麻酔作用は、1884年にオーストリアの眼科医カール・コラーによって初めて確認されました。彼は自身の目にコカイン溶液を点眼し、痛覚が消失することを確認する実験を行いました。彼の発表は、医学界に新たな局所麻酔法の可能性を示しました。
翌1885年には、外科医ウィリアム・スチュワート・ハルステッドが腕神経叢ブロックという神経伝達を遮断する手技を初めて実施しました。同年、ジェームズ・レナード・コーニングは、犬および健常な男性の下部腰椎にコカインを注入する実験を行いました。これは脊髄神経への薬物投与に関する最初の公開論文であり、脊髄幹ブロックの概念を提示した先駆的な試みでした。
脊髄くも膜下麻酔の確立
脊髄くも膜下麻酔を臨床に応用したのは、ドイツの外科医アウグスト・ビーアです。1898年8月16日、彼はキールでこの麻酔法を用いた手術を行いました。この技術はすぐに日本にも紹介され、1901年には名古屋の北川乙次郎と金沢の東良平が、日本外科学会で臨床例を発表しています。
コーニングとビーアの研究発表後、どちらが脊髄くも膜下麻酔を最初に成功させたかという議論が持ち上がりました。コーニングの実験が時間的に先行していたことは確かですが、彼がコカインを注入した場所が、脊髄液が存在するくも膜下腔であったのか、あるいはその外側の硬膜外腔であったのかについて長年にわたり議論が続きました。コーニングが使用したコカイン量はビーアやテオドール・タフィエよりもはるかに多かったにもかかわらず、鎮痛効果の発現は遅く、感覚が麻痺する範囲も限定的でした。また、ビーアらが確認した脳脊髄液の流出について、コーニングは自身の報告で触れていませんでした。これらの点から、コーニングの注射は硬膜外腔に行われた可能性が高いと考えられています。さらに、コーニングのコカインの作用に関する理論、すなわち静脈循環を経て脊髄に作用するという説は誤りであったとされています。結論として、脊髄くも膜下麻酔を医学の実践に導入したのはビーアですが、その後の脊髄くも膜下麻酔および硬膜外麻酔の開発に繋がる実験的な基盤を築いたのはコーニングの功績と言えるでしょう。
硬膜外麻酔の進歩と持続麻酔
20世紀に入ると、脊髄幹麻酔はさらに発展します。1901年には、ルーマニアの外科医ニコラエ・ラコヴィツァヌ=ピテシュティが、くも膜下腔にオピオイドを投与して鎮痛を得る方法を初めて報告しました。
1921年、スペイン軍医フィデル・パヘスが、現代の腰部硬膜外麻酔につながる手技を開発しました。この技術は、1930年代にイタリアの外科教授アキッレ・マリオ・ドリオッティによって広く普及しました。ドリオッティは、注射器のプランジャーに一定の圧力をかけながら針を進め、硬膜外腔に到達した際に生じる抵抗の変化で腔を特定する「抵抗消失法」を発表し、これは「ドリオッティの原理」とも呼ばれます。1931年には、ルーマニアの外科医・産科医オイゲン・アブレルが、陣痛初期に腰神経叢ブロックを行い、その後に分娩期に仙骨硬膜外注射を組み合わせた鎮痛法を初めて報告し、産科麻酔への応用を示唆しました。
持続的な脊髄幹麻酔技術もこの頃に開発されます。1941年10月から、ロバート・アンドリュー・ヒンソン、ワルド・B・エドワーズ、ジェームズ・L・サウスワースらは、ニューヨークの海兵隊病院で持続仙骨麻酔の手技を開発しました。彼らは、従来の単回注射ではなく、針を留置したまま局所麻酔薬を継続的に注入する方法を試みました。ヒンソンとサウスワースはまず静脈瘤除去手術でこの技術を応用し、その後ヒンソンは産科医エドワーズと協力して、出産時の鎮痛における持続仙骨麻酔の有効性を研究しました。彼らは仙骨領域の詳細な解剖学的研究を行い、脳脊髄液に影響を与えずに安全に麻酔薬を投与できる部位を特定しました。持続仙骨麻酔が陣痛中の女性に初めて使用されたのは1942年1月6日です。リウマチ性心疾患を持つために全身麻酔が危険視された妊婦の緊急帝王切開において用いられ、母子ともに救われました。
さらに、腰部硬膜外腔へのカテーテル留置が初めて報告されたのは1947年1月13日、キューバの麻酔科医マヌエル・マルティネス・クルベロによってです。彼は40歳の女性の卵巣嚢腫摘出術に際し、ツーイ針を用いて硬膜外腔にカテーテルを留置し、カテーテルを介して繰り返し局所麻酔薬を投与することで麻酔を維持しました。クルベロはこの成果を同年9月にニューヨークで開催された国際学会で発表し、脊髄幹麻酔の技術は新たな段階へと進展しました。
これらの先駆的な研究と技術革新が積み重なり、脊髄幹麻酔は現代医療において不可欠な麻酔法の一つとなっています。
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