蔦の細道

蔦の細道：いにしえの旅人が行き交った峠道

静岡県の中央部に位置する宇津ノ谷峠には、かつて東海道の一部として重要な役割を果たした古道「蔦の細道」が残されています。静岡市駿河区の宇津ノ谷地区と藤枝市岡部町の境界に位置するこの道は、東海道の宿場である丸子宿の西、間の宿として栄えた宇津ノ谷から峠を越える最も古いルートであり、平安時代から約700年もの長きにわたり、官道として利用されました。しかし、1590年に豊臣秀吉によって新たな峠道が開かれてからは、次第にその役目を終えていきます。現在、蔦の細道は藤枝市の史跡に指定されており、歴史の面影を感じさせる場所として訪れる人々を迎えています。

『伊勢物語』に詠まれた哀愁の道

蔦の細道が世に広く知られるきっかけとなったのは、平安時代前期に成立した文学作品『伊勢物語』の一節です。在原業平をモデルとする主人公が、この宇津の山（宇津ノ谷峠）を越えようとした際のエピソードが描かれています。物語では、鬱蒼と茂るツタやカエデに覆われた道が、暗く狭く、人けのない寂しい様として描写され、主人公は心細さを感じたとされています。この時、偶然出会った修行者に託して都の人へ送った歌が、「駿河なる宇津の山べのうつつにも　夢にも人にあはぬなりけり」という有名な一首です。この歌が詠まれた情景から、江戸時代以降、この道は「蔦の細道」と呼ばれるようになったと考えられています。道の名称自体が、文学作品に由来するという、なんとも趣深い歴史を持っているのです。

文学作品に刻まれた難所

『伊勢物語』以降も、蔦の細道は多くの文人や歌人の旅路となり、様々な文学作品や歴史書にその名が記されました。平安時代の女流作家、菅原孝標女の紀行文『更級日記』をはじめ、鎌倉時代の軍記物語『平家物語』や紀行文の傑作『海道記』、『十六夜日記』、そして歴史書『吾妻鑑』など、時代を代表する作品に登場しています。これは、いかにこの道が当時の人々にとって馴染み深く、また印象深い場所であったかを示しています。

しかし、これらの記録からは、単なる風光明媚な道としてだけでなく、交通の難所としての側面も浮かび上がります。鎌倉時代の承元4年（1210年）には、鎌倉へ向かう途中の将軍源実朝の正室の女房が、宇津山（宇津ノ谷峠）で追い剥ぎに遭うという事件が発生しました。この一件は幕府を動かし、駿河以西の宿場には夜間警備の番衆が配置されるなど、旅人の安全確保のための対策が講じられることになりました。これは、昼間でも薄暗く、危険が潜む場所であったことを物語っています。

このような道のイメージは、後の歌舞伎の演目「蔦紅葉宇津谷峠」（つたもみじうつのやとうげ）にも色濃く反映されています。この物語では、伊丹屋十兵衛が幼い盲目の按摩、文弥を殺害してお金を奪う事件が描かれます。奪われたお金は、文弥の姉がお金のために身を売って工面した、弟の将来のための大切な資金でした。事件後、文弥の亡霊が十兵衛の女房に取り憑き、新たな悲劇が連鎖していくという、因果応報と恐怖を描いた作品です。これもまた、宇津ノ谷峠が持つ陰鬱で危険なイメージを象徴的に表現していると言えるでしょう。

往時の面影を残す道と文化財

蔦の細道は、標高210メートルから600メートルまで高低差があり、平均斜度24度という急な下りが続く、まさに天然の難所でした。このような険しい道であったため、豊臣秀吉が新しい道を整備した後は、主要な交通路としての利用は激減しました。

江戸時代になり、かつての官道が忘れ去られることを惜しんだ駿河国の代官がいました。彼はこの道を後世に残そうと、1830年（文政13年）に蔦の細道の入口に記念碑を建立させました。この碑は「蘿径記（らけいき）」と呼ばれ、現在は場所を移しながらも、坂下地蔵堂の脇にひっそりとその姿をとどめています。これは、かつての道の記憶を留めようとした人々の思いを今に伝えています。

現在、蔦の細道周辺はハイキングコースとして整備され、多くの人々が歴史散策を楽しんでいます。道沿いには「つたの細道公園」が設けられ、かつての厳しい道の雰囲気とは異なり、憩いの空間となっています。また、山頂には『伊勢物語』で在原業平が詠んだとされる歌の碑が建てられており、道中には藤原俊成や藤原定家など、この道ゆかりの歌人たちの歌碑も点在しています。これらの歌碑は、いにしえの旅人たちがこの道で感じたであろう様々な思いに触れる機会を与えてくれます。

蔦の細道とその周辺の文化財は、現代においてその歴史的価値が改めて評価されています。2020年（令和2年）には、藤枝市指定史跡である「蔦の細道」が、宇津ノ谷に関わる様々な文化財群（慶龍寺、間の宿宇津ノ谷、十団子、東海道宇津ノ谷峠越、明治宇津ノ谷隧道など）と共に、文化庁の「日本遺産」に認定されました。認定されたストーリーは『日本初「旅ブーム」を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅～滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック（道中記）～』という、江戸時代の旅の文化に焦点を当てたものです。蔦の細道は、平安時代から江戸時代、そして現代へと続く旅の歴史を今に伝える貴重な遺産として、未来へ語り継がれていくことでしょう。

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