薬局距離制限事件

薬局距離制限事件

薬局距離制限事件は、広島県福山市で薬局を開設しようとした事業者が、改正された薬事法に基づく距離制限を理由に不許可処分を受けたことを不服として、その取消しを求めて提起した行政訴訟です。この事件は、職業選択の自由などの経済的自由権の規制について、憲法上の重要な判断基準を示すことになった歴史的な裁判として知られています。

事件の発端

原告である株式会社は、福山市内でスーパーマーケットや薬品販売業などを手広く営んでいました。同社が福山市内の繁華街に位置する店舗に薬局を開設するため、広島県に対して許可申請を行ったのは1963年6月のことでした。申請が受理された直後の同年7月、薬事法が改正され、新たに「薬局距離制限規定」が導入されました。この規定は、薬局の配置が偏らないよう、既存の薬局との距離などを基準に許可を与えないことができる、というものでした。

申請地は福山駅近くの商業地であり、多くの人が行き交う場所でしたが、当時すでに周辺には複数の薬局が密集していました。改正法が施行された後の1964年1月、県は改正薬事法とそれに基づく県の条例を適用し、周辺に既存薬局が多数存在することを理由に原告の申請を不許可としました。

原告は、申請は法改正前に行われたにもかかわらず改正後の法律が適用されたこと、申請地は繁華街であり過当競争の懸念はないこと、そしてそもそも法改正による距離制限規定自体が憲法が保障する営業の自由を侵害しており違憲であることなどを主張し、不許可処分の取消しを求めて広島地方裁判所に提訴しました。

各審級の判断

第一審（広島地方裁判所 1967年4月17日判決）

広島地裁は、薬事法改正時に経過措置の規定がなかった点に注目しました。そして、「新法不遡及の原則」（法律は原則として過去にさかのぼって適用されない）の考え方に基づき、申請時の旧法を適用して許可・不許可を判断すべきであったと判示しました。その上で、改正後の法を適用してなされた県の不許可処分は違法であるとして、原告の請求を認めました。この段階では、薬局距離制限規定の合憲性については判断されませんでした。

控訴審（広島高等裁判所 1968年7月30日判決）

県は第一審判決を不服として広島高裁に控訴しました。広島高裁は、行政処分は原則として処分を行った時点の法律に準拠してなされるべきであり、法改正時に経過措置がない以上、改正後の薬事法を適用した県の判断は正当であるとしました。

さらに、薬局距離制限規定の合憲性についても判断を示しました。裁判所は、薬局が特定の地域に偏って過度に密集することは公共の福祉に反するとして、改正薬事法及び県の関連条例は憲法第22条には違反しないと判断しました。申請地が既に薬局が密集している地域であることから、県の不許可処分は妥当であると結論付け、第一審判決を取り消し、原告の請求を棄却しました。

最高審（最高裁判所大法廷 1975年4月30日判決）

原告は控訴審判決を不服として最高裁判所に上告しました。争点は、改正法の適用時期の判断と、薬局距離制限規定の合憲性でした。

最高裁大法廷は、法改正の適用時期については、控訴審と同様に処分時の法（改正後の薬事法）を適用した県の判断は憲法に違反しないとしました。

しかし、薬局距離制限規定の合憲性については、控訴審とは全く異なる判断を下しました。最高裁は、薬事法改正の主な目的が無薬局地域などにおける医薬品供給の確保にあると解釈しました。その上で、薬局が密集している地域での開業を制限するという手段は、無薬局地域の解消という目的を達成するための手段として合理性を欠く、と判断しました。薬局の設置場所を制限する以外にも目的を達成する方法があるにもかかわらず、強力な職業の自由の制限措置をとることは、目的と手段の均衡を著しく失しており、国民の営業の自由を不当に侵害するものであるとして、薬局距離制限規定は憲法第22条に違反し無効であると判示しました。

その結果、最高裁は薬局距離制限規定が違憲無効であることから、これに基づいて行われた県の不許可処分も無効であるとして、原告の請求を認めました。この判決は、日本国憲法の下で、最高裁判所が言い渡した史上2例目の法令違憲判決となりました。

判決の影響

最高裁が違憲判決を言い渡した後、わずか約2か月半後の1975年7月には薬事法が改正され、違憲と判断された薬局の距離制限に関する条項が削除されました。

また、この判決における経済的自由権の規制に関する裁判所の判断の示し方は、その後の学説に大きな影響を与えました。職業の自由に対する規制を、公共の安全や秩序維持を目的とする「消極目的規制」と、国民経済の健全な発展や弱者保護などを目的とする「積極目的規制」に分類し、後者に対する規制の合憲性判断をより慎重に行うべきであるとする「規制目的二分論」が登場するきっかけの一つとなったと言われています。

事件の主な経過

1963年6月：原告、薬局開設許可を申請
1963年7月：改正薬事法（距離制限規定導入）施行
1964年1月：県、不許可処分を決定
1964年2月：原告、不許可処分の取消しを求めて提訴（広島地裁）
1967年4月：広島地裁、原告勝訴（旧法適用、県の処分違法）
1968年7月：広島高裁、県逆転勝訴（新法適用、距離制限規定合憲、県の処分適法）
1975年4月：最高裁、原告勝訴（新法適用適法、距離制限規定違憲無効、県の処分無効）
1975年7月：薬事法改正、距離制限規定削除

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