蟹の支配者

『蟹の支配者』は、アメリカ合衆国の幻想文学作家クラーク・アシュトン・スミスによる短編ホラー小説です。

1948年3月刊行のパルプ・マガジン『ウィアード・テールズ』に掲載されたこの作品は、スミスが生み出した終末後の未来大陸ゾティークを舞台とする一連の物語群に属しています。

ゾティーク作品は通常三人称で語られますが、本作は珍しく登場人物の一人である弟子の視点から語られる一人称形式を採用している点が大きな特徴です。物語の主軸は、古代の秘宝と強力な魔術の力を巡る魔術師たちの激しい対立に置かれています。

興味深いことに、スミス自身の構想ノート「黒の書」においてゾティーク物語として計画された21編、実際に完成した15編のリストには、本作の名前が含まれていません。これについて、翻訳家の大瀧啓裕氏は、スミスがアイデアを練るうちに自然とゾティークの世界観に取り込まれていったのではないかと推測しています。

物語のあらすじ

遠い昔、伝説的な海賊オムウォルは、ファラードにある月の神の聖堂から貴重な財宝を奪い去りました。その中には、類まれなる魔術の知識が記された書物が複数含まれていたと言われています。オムウォルはやがて姿を消し、財宝の行方も不明となりますが、それを隠した場所を示す地図が存在するという噂だけが語り継がれていました。

ナートの島出身のサルカンドという妖術師がいました。彼は母親譲りの冷酷さと、父親の禍々しい降霊術の技を受け継いでいると噂されていました。サルカンドは東方の各地で不気味な知識と悪名高い評判を積み重ねた後、畑や果樹園が広がる一方、砂漠地帯も有する王国ミロウアネに現れます。そこで彼は瞬く間にその影響力を拡大し、ミロウアネの有力な魔術師であったミオル・ルミウィクスは、この新興のライバルに対して強い警戒心を抱くようになります。

ちょうどその頃、オムウォルの船員の末裔とされる人物が、探求されていた地図を持ってミロウアネに到着します。サルカンドはこの情報を聞きつけ、盗賊を雇ってその地図を奪わせます。しかし、雇われた盗賊たちはサルカンドを出し抜くことを企て、彼よりも先に財宝を手に入れようと画策します。

サルカンドの動向を注視していたミオル・ルミウィクスは、宿敵がオムウォルの地図を手に入れたことを察知し、それが指し示す場所がイリボスの島であると突き止めます。彼は自身の弟子であるマンタル（物語の語り手）を伴い、小舟に乗ってサルカンドの後を追います。

無人島であるイリボス島は、古代に海の神によって呪いがかけられ、深海の生き物以外は近づくことが禁じられた場所だと伝えられていました。島の海岸近くの洞窟へと続く入り江は、おびただしい数の蟹や蛸が跋扈する危険な場所でした。

一足先に島に上陸していたサルカンドは、軽い負傷を負いながらも、地図の示す場所で財宝と、強力な魔力を秘めた「海の神バサタンの指輪」を発見します。この緑柱石で作られた指輪は、海の潮流や風向き、さらには海の生物を思うがままに操る驚異的な力を持っていました。サルカンドは、自らを裏切って追ってきた2人の盗賊の小舟に対し、指輪の力で波を操り難破させ、さらに無数の蟹を差し向けて彼らを溺死させます。

続いて島に到着したミオル師弟の舟にも、サルカンドは同じような攻撃を仕掛けます。師と弟子はかろうじて命拾いし、舟から投げ出されるように洞窟へと逃げ込みます。洞窟の中で彼らは、おびただしい蟹に群がられて変わり果てた2人の盗賊の遺体を目にします。

洞窟の奥で、ミオル師弟は負傷したサルカンドと対峙します。サルカンドは足の傷が癒えるまで、指輪の魔力による防御で身を守り休息するつもりでした。ミオルはサルカンドを殺害し、財宝を奪い取ることを宣言します。これに対し、サルカンドは指輪の力をもって、おびただしい数の蟹の群れを操り、師弟に向けてけしかけます。

夥しい数の蟹が鋭い鋏で師弟の足を狙い、払い除けても次々と襲いかかってくる凄まじい攻撃に、弟子マンタルは足場を失って倒れてしまいます。その瞬間、師であるミオルは愛用の魔法剣をサルカンド目掛けて投擲し、彼の右手首を切断します。指輪による魔力の制御を失った蟹たちは、それまでの標的から向きを変え、無数の塊となってサルカンド自身に群がり始めます。サルカンドは激しい苦痛に身悶え、やがてその動きを完全に止めました。蟹が触れていないのは、副木で固定された足と、指輪を嵌めたまま切り落とされた手首だけでした。

ミオルは弟子に、自分たちもこの場を離れることを告げ、まずは火を焚いて襲いかかってくる蟹を焼き払うように命じるのでした。

この作品は、『ゾティーク幻妖怪異譚』（創元推理文庫、大瀧啓裕訳）に収録されています。

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