諂

諂（てん）

「諂（てん）」は、仏教において教えられる多くの煩悩の一つです。梵語では「śāṭhya（シャーティヤ）」と呼ばれます。これは、心が真っ直ぐではなく、ねじ曲がった状態、あるいはよこしまな心を指し、具体的には他者に対して媚びへつらうといった振る舞いや、その根本にある心のあり方を意味します。

この「諂」の心が生まれる動機は、多くの場合、個人的な利益や、世間での名声、良い評判（名聞利養）を得ることにあります。こうした目的を達成するため、心の奥底にある本当の気持ちや、自己中心的な欲望を隠し、表面上は相手に寄り添うふりをしたり、極端に従順であるかのように装ったりします。これは、単に愛想が良いというレベルを超え、意図的に相手を欺き、惑わせ、さらには相手の心を自分の都合の良い方向へ誘導し、操ろうとする、作為的で不誠実な心の働きです。

また、「諂」の心は、自己が犯した失敗や過ちを隠蔽するためにも用いられます。例えば、目上の人物や関係者に過ちを知られないよう、あるいはその責任を追及されないよう、へつらいや追従といった手段を使って、その場を取り繕ったり、相手の信頼を不当に得ようとしたりする場合も、この「諂」に含まれます。

仏教の教義においては、「諂」は煩悩として明確に位置づけられています。

部派仏教の一つである説一切有部（せついっさいゆうぶ）の教えでは、存在する全ての現象や要素を「五位七十五法」というカテゴリーに分類しますが、「諂」はこの中で「心所法（しんじょほう）」、すなわち心に伴って生じる精神的な要素に分類されます。さらに詳しく見ると、煩悩の中でも比較的根源的ではないとされる「小煩悩地法（しょうぼんのうじほう）」の一つとして数えられています。

また、唯識（ゆいしき）思想においては、心が経験する様々な煩悩を「根本煩悩」と「随煩悩（ずいぼんのう）」に大別します。ここでいう「随煩悩」とは、根本煩悩に随伴して生じる煩悩のことです。唯識派の重要な文献である『大乗百法明門論（だいじょうひゃくほうもんみょうろん）』によれば、「諂」は「随煩悩位」に分類され、さらに随煩悩の中でも「小随煩悩（しょうずいぼんのう）」の一つとされています。小随煩悩は、特定の限られた心にのみ付随して生じる比較的軽い煩悩と定義されています。

このように、「諂」は自己の邪な目的のために他者を欺き、心を曲げる行為であり、仏道修行においては克服すべき煩悩の一つとして、古くからその性質と位置づけが論じられてきました。

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参考文献

櫻部建、上山春平『存在の分析＜アビダルマ＞―仏教の思想〈2〉』角川書店〈角川ソフィア文庫〉、2006年
中村元『龍樹』講談社学術文庫、2002年

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