豊川信用金庫事件

豊川信用金庫事件：デマが引き起こした金融パニック

1973年（昭和48年）12月、愛知県宝飯郡小坂井町（現・豊川市）で、豊川信用金庫の経営が危ないというデマが広まり、預金者が殺到する取り付け騒ぎが発生しました。この騒動は、わずか2週間足らずで約14億円もの預貯金が引き出され、信用金庫は倒産の危機に瀕しました。

事件の概要

この事件は、女子高生たちの何気ない会話が発端でした。「信用金庫は危ない」という冗談が、誤解や尾ひれがつく中で瞬く間に広まり、地域全体を巻き込むパニックへと発展しました。警察の捜査により、この騒動は犯罪行為ではなく、自然発生的な流言が原因であることが判明しました。この事件は、デマがどのように広がり、パニックを引き起こすのかを詳細に解明した珍しい事例として、心理学や社会学の教材にも取り上げられています。

事件の経緯

1日目：12月8日（土）

国鉄飯田線の車内で、高校生BとCが、豊川信用金庫への就職が決まった友人Aをからかい、「信用金庫は危ないよ」と冗談を言いました。これは金融機関が強盗に遭いやすいという意味の冗談でしたが、Aは真に受けてしまいました。
その夜、Aは親戚Dに「信用金庫は危ないのか？」と尋ねました。Aは特定の信用金庫名を挙げませんでしたが、Dは豊川信金のことだと解釈し、同信金本店の近くに住む親戚Eに電話で確認しました。

2日目：12月9日（日）

Eは美容院経営者のFに「豊川信金は危ないらしい」と伝えました。

3日目：12月10日（月）

Fが親戚Gに話した際、クリーニング業Hがその話を耳にし、妻Iに伝えました。

4日目：12月11日（火）

小坂井町の主婦たちの間で豊川信金の噂が広まり、「豊川信金は危ない」と断定的な噂になりました。

6日目：12月13日（木）

クリーニング業Hの店で、Jが電話で「豊川信金から120万円おろせ」と指示しました。Jは噂を知らず、仕事の支払いのための指示でしたが、これを聞いたIは信金が倒産すると勘違いし、慌てて180万円を下ろしました。
その後、HとIが知人にこの話を広め、アマチュア無線愛好家が無線で広範囲に噂を拡散しました。この日だけで、約5000万円の預金が引き出されました。
タクシー運転手の証言によると、噂の内容は時間経過とともに「危ないらしい」から「潰れる」へと誇張されていきました。

7日目：12月14日（金）

信用金庫が出した声明が曲解され、パニックに拍車をかけました。「1万円以下は切り捨てられる」「利子が払えないのは経営がおかしいから」などのデマが流れ、「強制捜査が入った」という噂まで広がりました。
さらに、「職員の使い込み」「5億円の持ち逃げ」「理事長の自殺」といった二次的なデマも発生しました。
信用金庫側の依頼で、マスコミ各社がデマであることを報道し、事態の沈静化を図りました。
日本銀行は、豊川信用金庫の経営に問題がないと発表し、日銀名古屋支店を通じて現金を手当しました。また、預金者へのアピールとして、日銀から輸送された大量の現金を本店に山積みしました。

8日目：12月15日（土）

全国信用金庫連合会、全国信用金庫協会連名のビラが店頭に張り出され、常務理事による預金者への説得活動も行われました。
これらの対策で騒動は鎮静化に向かいましたが、報道を見て初めて騒動を知り、預金を引き出しに来る人もいました。

9日目：12月16日（日）

警察がデマの伝播ルートを解明し、発表しました。

10日目：12月17日（月）

新聞各紙が警察発表を報道しましたが、その後も「裏に組織的な陰謀がある」と主張する人もおり、デマはすぐには消滅しませんでした。

パニックに発展した要因

オイルショックによる不況と社会不安の中で、デマが広がりやすい状況だった。
口コミで情報が伝わるうちに、内容が変容していった。
7年前の隣町での金融機関倒産事件が、デマにリアリティを与えた。
狭い地域社会での「交差ネットワークによる二度聞き効果」が発生した。
預金保険制度の認知度が低く、預金者はパニックに流された。

事件の解決

城南信用金庫の理事長であり、全国信用金庫連合会と全国信用金庫協会の両会長であった小原鐵五郎が、取り付け騒ぎの連絡を受け、事態の収拾に尽力しました。
小原は、以下の対応策を実施しました。
大量の現金を店頭に展示し、預金者の不安を解消した。
「お金はいくらでも払い戻す」と告知し、安心感を与えた。
財務局とのやり取りを公開し、信頼性を高めた。
閉店時間を過ぎても営業し続け、預金者の不安を取り除いた。
職員に金庫の中身を見せ、安心させた。
マスコミと協力し、正確な情報を広めた。

まとめ

豊川信用金庫事件は、デマが社会に与える影響の大きさと、情報伝達の過程でいかに誤解や誇張が生じやすいかを物語る教訓的な事例です。この事件は、社会心理学やコミュニケーションの研究において重要な題材であり、現代社会においてもデマやフェイクニュースへの警戒を促す警鐘となっています。

参考資料

「この道わが道―信用金庫ひと筋に生きて」(東京新聞出版局1987年) 小原鉄五郎
特命リサーチ200X（日本テレビ）「デマ・パニックの正体を追え！」1998年12月6日放送
関谷直也『風評被害 そのメカニズムを考える』光文社〈光文社新書〉、2011年5月17日。
世界の何だコレ!?ミステリー（フジテレビ）「信用金庫が破綻する!預金解約に大行列」2024年1月31日放送
論文
伊藤陽一、小川浩一、榊博文「デマの研究--愛知県豊川信用金庫"取り付け"騒ぎの現地調査(概論・諸事実稿)」『総合ジャーナリズム研究』第11巻第3号、東京社、1974年6月、70–80頁、ISSN 0387334X、NAID 40002225700。
伊藤陽一、小川浩一、榊博文「デマの研究--愛知県豊川信用金庫"取り付け"騒ぎの現地調査(考察・分析編)」『総合ジャーナリズム研究』第11巻第4号、東京社、1974年9月、100–111頁、ISSN 0387334X、NAID 40002225718。
* 沼田健哉「流言の社会心理学」『桃山学院大学社会学論集』第22巻第2号、桃山学院大学総合研究所、1989年3月、97–117頁、ISSN 02876647、NAID 110004700817。

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