貝澤正

貝澤 正

貝澤 正（かいざわ ただし）は、1912年に北海道平取町に生まれ、1992年2月3日に逝去したアイヌ民族の指導者、活動家です。元平取町議会議員、元北海道ウタリ協会副理事長として、アイヌ民族の地位向上、文化継承、そして権利確立のために生涯を捧げました。

生い立ちと背景

1912年、平取町で祖父ウエサナシ、父与治郎のもとに生まれました。父親はアイヌでしたが、当時の同化政策の影響もあり、日本人としての生き方を目指していました。一方、母親は和人でしたが、子どもたちにはアイヌの豊かな文化や伝統を熱心に伝えていました。こうした両親の異なる価値観の中で育ち、平取尋常高等小学校高等科を卒業しました。

満州での経験

1941年、開拓団員として満州に渡ります。しかし、そこで目の当たりにした、現地の人々（中国人や朝鮮人）に対する日本人入植者の横暴な振る舞いや差別的な扱いに強い嫌悪感を抱きました。差別を諫めようとした際に、銃口を向けられる危険な状況にも直面しています。開拓団を離脱し、満州の地で農業に従事しましたが、体調を崩したため日本へ帰国しました。

帰郷後の活動

故郷である平取町に戻った後、当初は小規模な農業から身を立てました。持ち前の勤勉さと経営手腕を発揮して農業を成功させ、広大な土地を所有するに至ります。彼が積極的に土地を購入した背景には、アイヌの人々が経済的な困窮から安価に土地を手放し、それが和人の手に渡るのを防ぐという明確な意図がありました。農業経営者として地域社会での評価も高まり、引退時には「全道にその名を知られるほどの優れた農業家」と称されるまでになりました。

公職と民族運動

農業での成功と地域での信頼を基盤に、公職にも就きました。1967年には平取町議会議員に当選し、地方行政の場でアイヌ民族の声を行政に届けようと活動しました。1971年には、アイヌ文化の保存・研究・啓蒙を目的として設立された二風谷アイヌ文化資料館の初代館長に就任し、文化継承の中心的役割を担います。さらに、1972年には北海道ウタリ協会の副理事長に選出され、アイヌ民族全体の権利確立や福祉向上に向けた運動を牽引する立場となりました。

二風谷ダム建設と土地収用訴訟

貝澤正の生涯において、最も特筆すべき活動の一つが、二風谷ダム建設に対する抵抗とその後の法廷闘争です。1973年、アイヌ民族にとって神聖な場所である二風谷地区に、十分な説明や合意形成のないままダム建設が決定され、着工されました。地元住民6戸に対して補償交渉が進められましたが、地主であった貝澤正氏と萱野茂氏（後に参議院議員）は、ダム建設に断固として反対の姿勢を貫き、土地の明け渡しや補償金の受け取りを拒否しました。

1987年、北海道開発局は土地収用法に基づく強制収用の手続きを開始します。これに対し、貝澤氏と萱野氏は、強制収用は不当であるとして、1989年に事業主体である建設大臣に対し土地収用の差し止めを求めて異議申立てを行いました。貝澤正氏は1992年に逝去しますが、彼の遺志は長男の貝澤耕一氏に引き継がれます。しかし、1993年4月、異議申立ては退けられました。その判断に反発した両氏は、同年5月、土地収用を行った北海道収用委員会を相手取り、札幌地方裁判所へ行政訴訟を提起しました。二風谷ダムは1997年に完成しましたが、同年3月27日、裁判所は「差し止め」こそ認めなかったものの、「アイヌ民族の権利や文化を軽視した形で行われた土地収用は違法である」との画期的な判決を下しました。この判決に対し、原告・被告の双方が上訴しなかったため、この判決が確定しました。これは、アイヌ民族の権利や固有の文化が日本の司法によって初めて正式に認められた、歴史的な出来事として高く評価されています。

晩年と逝去

貝澤正氏は、二風谷ダム訴訟の判決を見ることなく、1992年2月3日に79年の生涯を閉じました。彼の遺言に従い、葬儀はアイヌの伝統に則った「アイヌプリ」によって執り行われました。その生涯は、アイヌ民族としての尊厳を守り、権利確立のために最後まで闘い続けた道のりでした。

著作

自身の経験やアイヌ民族への思いを綴った著書に『アイヌ－わが人生』（岩波書店）があります。

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