赤ちょうちん (映画)

『赤ちょうちん』

1974年に公開された日本映画で、藤田敏八が監督を務め、秋吉久美子と高岡健二が主演した作品です。この映画は、日活がロマンポルノ路線へ移行して以降、初めて手掛けた一般向け作品であり、「日活歌謡映画路線」および「日活ニュー青春映画三部作」の第1作として位置づけられています。当時の日活は、正月興行で他社に遅れをとった反省から、ファン層の拡大を目指して一般映画製作に乗り出しており、本作はその試金石ともなりました。結果的に興行的な成功を収め、主演の秋吉久美子にとっては出世作となり、同年のうちに『妹』や『バージンブルース』といった続編的な位置づけの作品が製作されるきっかけとなりました。

作品概要

大都会・東京の片隅でひっそりと暮らし始めた若い男女が、周囲との関係に馴染めず、互いの心のすれ違いを繰り返しながら、何度も引っ越しを重ねていく中で、女性の心が次第に病んでいく様を描いた異色の青春群像劇です。

物語の展開

線路脇の安アパートに暮らす青年・久米政行は、ある夜、偶然出会った少女・幸枝を一晩泊めたことがきっかけで、彼女との奇妙な共同生活へと足を踏み入れます。幸枝が忘れていった現金書留を競馬で使い込んでしまった政行でしたが、アパートの取り壊しが決まり途方に暮れていたところへ幸枝が戻ってきたことで、二人は同棲生活を始めることになります。

最初の住まいは、渋谷区幡ヶ谷に位置するアパートでした。窓から火葬場の煙突が見えるこの場所は、幸枝を不安にさせます。さらに、以前の住人だという中年男が部屋に居着いてしまい、政行は同僚の牟田とその恋人・利代子と共謀し、彼を手荒な方法で追い出そうとします。この一件を目撃した幸枝は気分を悪くし、ここでの生活を続けることに耐えられなくなり、二人は最初の引っ越しを決意します。

二番目の住まいは、新宿区柏木（現在の西新宿）にあるアパートです。神田川の近くに位置し、建設中の新宿副都心の高層ビルが見えるこの場所で、二人は牟田と利代子の隣室に移り住みます。賑やかな街での暮らしに幸枝も明るさを取り戻しますが、やがて妊娠が発覚します。政行は経済的な理由から堕胎を迫り、利代子も巻き込んだトラブルが生じます。しかし、話し合いの末、二人は困難な状況でも子供を産むことを決意し、再び引っ越します。

三番目の住まいは、調布市の一見のどかな土地でした。しかし、調布飛行場からの離発着する飛行機が低空で頭上を通過します。幸枝は無事に出産しますが、病院での赤ん坊取り違え騒動に見舞われ、帰宅後には大家から亡くなった自身の赤ん坊が使っていたベビーカーを譲り受けそうになるなど、周囲で立て続けに起こる出来事に幸枝は感情を乱します。この地での生活が赤ん坊にも悪影響だと判断し、二人は三度目の引っ越しを決めます。

四番目の住まいは、葛飾区の下町にある一軒家風の家です。首都高速がそばを走る川土手に近いこの家は、隣家と壁を隔てて繋がっており、二世帯が暮らしていました。引っ越しを温かく歓迎され、政行も地元の工場で働き始めますが、やがてこの家で過去に一家心中があったことを知ります。ある夜、悪夢にうなされる幸枝の手に、以前政行が飲み込んだ義眼が握られているのを発見し、政行は不気味さを覚えます。幸枝の体調不良を通して、政行は彼女が長い間溜め込んでいたストレスに初めて気づき、激しく後悔します。

そして五度目の引っ越しは、幸枝が精神を病み入院したため、政行が子供を連れて一人で行うことになります。

登場人物たち

久米政行（高岡健二）: 新宿の立体駐車場の管理人。自分本位でややだらしなく、場の空気を読まない言動が見られます。競馬好きで、家族を養う自覚がやや不足している青年として描かれます。
霜川幸枝（秋吉久美子）: 政行と出会った時は17歳。お人好しで流されやすい性格が、厳しい現実の中で脆さとして露呈していきます。極度の鶏肉アレルギーを持ち、赤い色を好みます。頼りない政行を支えようと奮闘しますが、環境の変化や出来事が彼女の心を蝕んでいきます。
牟田修（河原崎長一郎）: 政行の職場の年上の同僚。享楽的な生活を送り、怪しげな儲け話にも手を出します。
利代子（横山リエ）: 牟田の恋人でスナックの従業員。自己主張が強く、歯に衣着せぬ物言いをしますが、時に主人公たちに助言もします。
中年男（長門裕之）: 政行たちの最初のアパートに居着いた謎の人物。彼の存在は、二人の生活に暗い影を落とします。
幸枝の兄（石橋正次）: 3年ぶりに幸枝の前に現れる、身勝手な人物。

また、引っ越し先の大家や隣人たち（悠木千帆／現・樹木希林、中原早苗、南風洋子、陶隆、山本コウタローら）が、それぞれの場所での生活の雰囲気や出来事に彩りを加えています。

製作を巡るエピソード

本作の製作は、日活がロマンポルノ体制から一般映画へ回帰する戦略の一環として始まりました。当初、かぐや姫のヒット曲「神田川」の映画化権争奪戦が繰り広げられていましたが、日活はこれを逃し、代わりに同じくかぐや姫の「赤ちょうちん」の映画化を企画しました。しかし、この一連の映画化交渉は楽曲の提供元であるかぐや姫サイドとの間で十分な調整がなされず、後の解散に繋がる不信感を募らせる一因となったとメンバーの南こうせつは語っています。

主演のキャスティングでは、政行役には萩原健一が候補に挙がったものの断られ、高岡健二に決定。幸枝役には風吹ジュンの案もありましたが、秋吉久美子が抜擢されました。当時の秋吉は日活のロマンポルノ作品に出演することに対し、表現としての裸に抵抗はなかったものの、助監督の直接的な物言いに戸惑ったといいます。録音技師の紅谷愃一は、秋吉の持つ不安定さがヒロイン像に合っていたと評価しています。脇を固める俳優陣には、ロマンポルノ作品への出演に難色を示す者もいましたが、一般映画と判明すると多くの実力派俳優が出演を承諾しました。

脚本は中島丈博と桃井章によるものですが、藤田敏八監督が大幅に手直ししており、特に後半の重い展開は監督の意向が強く反映されています。楽曲の「赤ちょうちん」はタイトルと音楽に使用されているものの、歌詞の内容とストーリーに直接的な関連性はほとんどありません。映画音楽は、これが初の担当となる石川鷹彦が手掛けています。

撮影は1974年2月14日に調布日活撮影所で開始されました。日活久々の一般映画製作現場は活気に満ちていたといいます。作中の部屋の場面の一部はセットで撮影されており、当時の日活の制作体制（アフレコ主体）の制約の中で同時録音に挑む苦労もあったようです。

公開と評価

本作は都内16館を含む関東・東北地方の28館で封切られ、主に香港空手映画の『吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー』との二本立てで上映されました。地方によっては日活の旧作との併映や三本立て上映も行われました。

公開当時の評価は様々でした。評論家の高田純は、東宝版『神田川』への皮肉を評価する一方、映画全体の甘さや主人公たちの生活感覚の欠如を指摘しました。また、大家の無断侵入や中年男の扱いなど、現代から見ると驚くような場面が当時の評論でも問題点として挙げられています。河原一邦は、藤田監督が青春映画で本領を発揮し、秋吉久美子の繊細なキャラクター描写に成功したと評価しています。

後年の評価としては、「引越し映画」という視点での分析が特徴的です。川本三郎は、主人公が東京中を転々とする様子を深沢七郎の短編『月のアペニン山』と対比させつつ、木造アパートの雰囲気や時代の風俗描写に哀愁を感じ取っています。馬飼野元宏は、「同棲」という当時のトレンドを取り入れつつも、『同棲時代』のようなロマンティックな幻想ではなく、現実的な描写と残酷な結末によって青春の痛々しさを描き出した点、そして秋吉久美子の存在が学生運動以降の「シラケ世代」のアイコンとなった点を高く評価しています。また、『ぴあシネマクラブ』は、単なる恋愛劇に留まらない、精神的に問題を抱えた人々の群像劇として本作を秀逸だと評しています。

本作は、第48回（1974年度）キネマ旬報ベスト・テンで日本映画の第9位にランクインしています。時代を映し出す描写や、主演・秋吉久美子のブレイクを象徴する作品として、日本映画史において重要な位置を占める一作と言えるでしょう。

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