近藤宮子

近藤宮子：日本の唱歌「チューリップ」と「こいのぼり」を生んだ女性の一生

近藤宮子（1907年-1999年）は、日本の唱歌史に輝く名作「チューリップ」と「こいのぼり」の作詞家として知られています。しかし、彼女の生涯は、これらの名曲の誕生秘話以上に、激動の時代を生き抜いた一人の女性のドラマに満ち溢れています。

1907年、国文学者である父・藤村作の赴任に伴い広島で生まれた宮子は、東京音楽学校師範科（現在の東京芸術大学音楽学部）を卒業した母・季子から音楽教育を受けました。父の影響もあり、進歩的な考えを持つ彼女は、広島高師附属中学、山中高等女学校で音楽教師を務めた後、東京帝国大学文学部助教授となった父と共に上京。府立第三高女（現在の東京都立駒場高等学校）国文科を卒業しました。

1931年、東京音楽学校講師で国文学者の近藤忠義と結婚し、専業主婦となります。しかし、彼女の創作活動は、この頃から始まります。1930年、日本音楽著作権協会（JASRAC）が新しい唱歌教材の作詞を募集。優れた作品が少なかった中、JASRAC理事で作曲家の福井直秋は、父・藤村作に作詞を依頼。藤村は娘の宮子に作詞を託し、彼女は約1ヶ月で「チューリップ」、「こいのぼり」、「オウマ」など10編の童謡を生み出しました。これらの作品はJASRACに採用されますが、宮子の名前は伏せられ、無名著作物として扱われました。

「チューリップ」の歌詞にある「どの花見てもきれいだな」という一節には、暗雲漂う時代の日本において、宮子が抱いた「どんな小さなものにも、等しくいいところがある」という思いが込められていたとされています。1932年、「チューリップ」は『ヱホンシヤウカ ナツノマキ』で発表されましたが、作曲者である井上武士の名前だけが記載され、作詞者は不詳のままとなりました。当時、著作権の概念は現在とは異なり、作者が権利を主張することは稀でした。

戦後、宮子は青空保育や生協運動、反基地運動など、社会運動にも積極的に関わります。一方で、2人の子供を育てる専業主婦として、激動の時代を過ごしました。夫や弟の左翼活動への関与にも心を痛めながら、彼女は静かに日常を過ごしました。

1960年代に入ると著作権問題が浮上。「チューリップ」はJASRACの貴重な財源となっていたため、ある人物が自身の作詞として登録してしまう事態が発生します。1970年、著作権法改正により著作権への意識が高まり、宮子の長男が記者の友人に「こいのぼりの作詞者は母だ」と話したことがきっかけで、宮子の存在が世に知られるようになりました。

1982年、著作権保護期限が迫る中、JASRACは「チューリップ」の著作権を小出浩平に変更。しかし、小出は井上武士の死後、作詞作曲の権利をすべて自己のものと主張し、裁判を起こす騒ぎとなります。井上武士の遺族が発見した井上の日記に、作詞者が近藤宮子と記されていることを知った宮子は、76歳で裁判を起こします。長年に渡る裁判の末、1993年、86歳にして宮子の勝訴が確定。ようやく「チューリップ」と「こいのぼり」の作詞者として認められました。

この裁判は、ほぼ物証がない中で、裁判官の心証によって判決が下された珍しいケースとして注目を集めました。宮子の「どの花見てもきれいだな」という歌詞に込めた思い、そして一貫した行動が、裁判官を納得させたと言えるでしょう。

1999年、92歳で亡くなった宮子。彼女の生きた時代、そして彼女の作品が今も人々に歌い継がれていることは、彼女が社会や人々に対して抱いた深い愛情の証と言えるでしょう。彼女の生涯は、名曲誕生の物語だけでなく、社会運動、そして著作権という問題を通して、私たちに多くのことを教えてくれます。

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