野川晴義

野川晴義（のがわ はるよし）

現代音楽の作曲家、野川晴義は、1962年に東京都で生まれました。高校時代から東京藝術大学作曲科在学中にかけて、旺文社主催全国学芸コンクールやセゾングループ主催武満徹企画MUSIC TODAYでの受賞、ユネスコ国際作曲家会議日本代表選出など、数々の栄誉に輝き、大学卒業後すぐに作曲家としてのキャリアをスタートさせました。

作風の変遷と主要な活動

彼の活動は、デビュー当時（1985年頃）から「アウトサイダー」としての特異な才能が注目を集めました。当初は武満徹やシルヴァーノ・ブッソッティといった先達の影響を受けつつ作品を発表していましたが、1990年代に入ると「VERISMO（ヴェリズモ）」という現実主義を標榜する名の下に、人間の内面をえぐり出すような、時にはグロテスクとも評される自由奔放な音楽を生み出していきます。その特異な作風は、歴史的な文脈での解釈を困難にさせると同時に、既存の芸術様式に挑戦する過激なスキャンダリストとしての評価も生んでいます。

彼のユニークな創作姿勢は現在も揺るぎません。体制に迎合する芸術や、旧来の慣習にとらわれた音楽の「作法」を強く嫌悪し、現代音楽という枠組みを超えた多様な作品を発表しています。また、実験映画や実験演劇といった複合芸術の領域にも深い共感を寄せ、積極的に関わる姿勢を見せています。その支持層は欧米の知識層に多く、結果として日本国内よりも海外での創作活動が目立つ傾向にあります。

国内で彼の作品に触れる機会が限られている背景にはいくつかの要因が囁かれています。特に2001年以降、多くの作品の出版権と著作権管理がイタリアのアルゴス社に譲渡されたこと、同社のスコア貸し出し許容範囲にアジア圏が含まれていないこと、そして彼の作品が要求する複雑な楽器編成に対する国内の受け入れ体制の不十分さなどが挙げられます。

詳細な作風分析

野川の作品は、21世紀の現代音楽界で物理的方法論が先行する傾向とは一線を画し、聴覚的な感覚と作品に一貫して宿る個性に重きを置いています。

第一期（1985年頃～）
初期作品には、純粋な音楽作品と劇場的な要素が混然一体となったものが多く見られます。図形楽譜を用い、演奏者の自発性を引き出すことで生まれる劇場性は、『VERISMO』や『VERISMO/Per Lui』などに顕著です。しかし、その劇場性は、マウリシオ・カーヘルなどのユーモラスな戯れとは異なり、人間の息吹がそのまま露呈するような、生々しく不穏な空気感を纏っていました。武満徹は初期の『VERISMO』を聴き、「夢の中で妄想が渦巻く様な音楽」と評しています。この劇場的な要素は、『ピーターの家庭内暴力エロチカ惨殺事件』（1999年完成初演）を最後に、次第に音楽表現の間接的な手法として用いられるようになります。

第二期（1990年頃～）
1990年代以降も、彼の作品に宿るある種の生々しさは変わりませんが、音響や形式への実験が深まります。『Verismo/La vena estratta』（1989年）では、オーボエ、チェンバロ、ピアノという編成を用い、チェンバロとピアノによる複雑なリズムと累積和音が生み出す歪んだ音響を背景に、オーボエが孤独な旋律を紡ぎます。綿密に計算されたタイミングで挿入されるピアノ内部奏法やオーボエの多重音は、徹底した音楽表現への意思を感じさせます。彼の作品には、一般的な意味でのクライマックスは存在せず、個々の音楽シーンの表情に焦点が当てられます。チェンバロとピアノという音響バランスが異なる楽器の組み合わせを、生楽器の響きを容赦なく扱うことで際立たせる手法は特徴的です。また、四分音符＝29のような極端に遅いテンポで展開される複雑なメトリックを偏愛し、「一呼吸の中に無数の表情の襞」を描き込むスタイルは、イタリア現代音楽の影響を受けつつも、他の日本の作曲家とは一線を画しています。この時期から顕著になる「音色変化の重視」は、ルチアーノ・ベリオの手法を発展させた「反復による自動変奏」という形で作品に取り入れられます。この手法は、『Verismo/Sistema』（1996年）で更に確実なものとなり、サルバドール・ダリやタデウシュ・カントールに触発されたという立体的な音風景が展開されます。武満徹は『劇場の為の音楽』（1991年）について「珍しい音感」を持つ「ヘンタイ」と評し、松平頼暁は彼を「現代音楽の生血を人一倍多く吸って育った作曲家」と位置付けるなど、その存在は当時から大きな注目を集めていました。

第三期（1999年頃～）
1999年には実験的な舞台音楽劇『ピーターの家庭内暴力エロチカ惨殺事件』を発表します。これは初期の劇場的な作風の延長線上にある作品ですが、偶然性に依らず、オペラのような構築性を持っています。しかし、従来のオペラとは異なり、彼の本来持つエロティックな作風が音楽のみならず視覚面にも強く現出しました。サイケデリックな舞台、活人画、影絵を用いた性の倒錯劇は、国内での上演を困難にさせています（過度な性描写や倫理上の問題が指摘されています）。この作品のヨーロッパ初演後、彼はこの作品の要素を取り入れた作品を多数発表します（『Verismo/Pastorale』『太陽の少年』など）。この耽美的な傾向は、『Verismo/Grosso』（2003年）で更に拡大されます。この作品は、協奏曲のような体裁を持ちながら、ソリスト群とオーケストラが複雑に絡み合い、ロマンに濡れた音響と断片的な旋律が立体的な音場を形成します。時に目眩を誘うような歪んだ和音は、聴衆をエロティシズムの音宇宙へと引き込みます。『Verismo/Grosso II』（2004年）は、この作品から抽出・再構成されたもので、より陰鬱な響きを持っています。2006年には、オディロン・ルドンの絵画に触発されたオーケストラ作品『仮面は弔いの鐘を鳴らす』（後に破棄）やハープ作品『ヴェリズモ/記憶の泉』を発表し、新たな表現への探求を続けています。

楽器編成へのこだわりと論争

野川作品、特に「ヴェリズモ・シリーズ」の一貫した特徴として、「チェンバロとピアノを基調とした楽器編成」への異常なまでのこだわりが挙げられます。この二つの楽器の混在が、彼の作品に独特な、時に「紫色のビロードの触感」と形容される豊かな音色と雰囲気をもたらしています。このチェンバロとピアノへの偏執的な愛着は、野川の音楽のトレードマークとも言えます。

彼の挑発的な創作姿勢は、しばしば論争を巻き起こしてきました。特に1991年には、当時所属していた日本作曲家協議会で騒動が起こります。彼の作品『Verismo/La vena estratta』の再演に対し、新古典主義の長老作曲家が機関誌上で、ピアノの内部奏法を批判する論評を発表しました。これに激怒した野川は、この作曲家を「思考停止の老人作曲家」と断じ、彼のような人物を理事に置く協議会を「圧力の象徴」と非難する抗議文を送付。先輩作曲家の引き止めにもかかわらず、同年中に協議会を退会しました。これは、曖昧な批評に甘んじることなく、自身の芸術的信条を貫こうとする野川の若さ故の行動と言えるでしょう。しかし、二年後には何事もなかったかのように協議会に再入会し、現在に至っています。

野川晴義は、その特異な才能、一貫した美学、そして体制に囚われない挑発的な姿勢によって、日本の現代音楽界において異彩を放ち続ける存在です。国内外での今後の活動が注目されます。

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