鯨岡峻

鯨岡 峻（くじらおか たかし）氏は、1943年に生まれた日本の発達心理学者です。現在、中京大学の教授を務める傍ら、長年にわたって教鞭を執った京都大学の名誉教授でもあります。その研究は、人間関係の発達を深く掘り下げた「関係発達論」や、日々の実践を丁寧に記録・分析する「エピソード記述」といった分野で多大な影響を与えています。

氏の学歴は、1968年に京都大学文学部心理学専攻を卒業し、1970年には同大学大学院文学研究科修士課程を修了したことから始まります。その後、島根大学教育学部にて助教授、さらに教授として教壇に立ちました。研究活動の場を再び京都大学に移し、人間・環境学研究科の教授として教育・研究を推進しました。この間、1999年には「間主観的アプローチによる関係発達論の構築」という論文によって京都大学より文学博士の学位を取得しています。人間が他者とどのように関わり、その関係性の中で成長していくのかという問いに対し、単なる観察に留まらない、関わる者同士の「間主観性」に注目した独自の視点を提示しました。2007年に京都大学を定年退官し名誉教授の称号を受け、その後は中京大学心理学部の教授として、後進の指導と研究活動を継続しています。

研究の中心にあるのは、乳幼児期からの人間関係、特に子どもと養育者との間のコミュニケーションが、その後の発達にどのように影響を与えるかという問いです。言葉にならない原初的なコミュニケーションの中に、人間の関係性の基盤を見出す試みを行いました。また、保育や教育といった実践の場で生起する具体的な出来事を、客観的な記録として捉え、そこから子どもの発達や養育者の関わりを理解するための方法論として「エピソード記述」を重視し、その普及と研究に貢献しています。この手法は、質的な研究アプローチとして、実践と理論を結びつける重要な手段となっています。

その研究成果は多くの著書として発表されています。単著としては、間主観的アプローチに基づく関係発達論を体系的にまとめた『関係発達論の構築』や、初期の関係発達論の展開を描いた『関係発達論の展開』があります。また、自身の研究手法であるエピソード記述の実践的な入門書として『エピソード記述入門』、その読み方を示す『エピソード記述を読む』といった著作は、多くの研究者や実践家にとって必読書となっています。養育者がどのように子どもを育てるのかという視点に立った『<育てられる者>から<育てる者>へ』、保育における主体の育ちを論じた『保育・主体として育てる営み』、子どもと養育者の世代間循環を扱った『子どもは育てられて育つ』なども、氏の研究の射程の広さを示しています。

共編著としても多岐にわたり、重い障害のある子どもたちと教師のコミュニケーションをテーマにした『養護学校は、いま』、障害児保育に長年携わった実践の記録をまとめた『障碍児保育・30年』、自閉症の関係発達臨床に関する『自閉症の関係発達臨床』などがあります。また、鯨岡和子氏との共著として、保育や養護との結びつきを意識した『保育を支える発達心理学』『よくわかる保育心理学』『保育のためのエピソード記述入門』『エピソード記述で保育を描く』などを刊行しており、実践との連携を重視する姿勢が見られます。加えて、海外の重要な学術文献の翻訳も手掛けており、ヴェリナーの『発達心理学入門』、バウアーの『ヒューマン・ディベロプメント』、メルロ=ポンティの『意識と言語の獲得』など、日本の発達心理学や関連分野の研究に貢献しています。

鯨岡氏は、人間が他者との関わりの中でいかに発達し、世界を理解していくのかという根源的なテーマを、間主観性や関係性といった独自の視点から探求し続けており、その研究は発達心理学のみならず、保育、教育、障害児支援といった幅広い分野に深い洞察を与えています。

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