鰊御殿

鰊御殿（にしんごてん）

北海道の日本海沿岸部に点在する「鰊御殿」は、かつてのニシン漁の隆盛を象徴する歴史的な建築物です。

この言葉は通称として用いられ、一般的には第二次世界大戦前に北海道の日本海側、特にニシン漁が活発だった地域に建てられた、網元や雇われた漁師たちの住まいと漁業作業場を兼ね備えた大規模な木造建築（番屋）を指します。しかし、広くはニシン漁やその交易によって築かれた財力を背景に建てられた建物全般を含む場合もあり、厳密な定義は定まっているわけではありません。

鰊漁場建築

明治時代から昭和時代初期にかけて、ニシン漁が最盛期を迎えた北海道日本海沿岸には、数多くの大規模な木造構造物が築かれました。これらは「鰊御殿」や「番屋建築」など様々な名称で呼ばれますが、こうした一連の建物を総称して「鰊漁場建築」と称することがあります。

鰊番屋の基本的な構造

典型的なニシン漁家における鰊番屋の間取りは、ニシン漁という産業に特化した構造を持っています。
建物の中央部分には「ニワ」と呼ばれる土間スペースが配置され、この土間を境にして建物内部が大きく二つの区画に分かれています。片側には網元である親方の居住スペースがあり、もう片側には漁期だけ雇われる多数の漁夫たちが寝食を共にするための大規模な空間が設けられています。

特徴的な空間：ダイドコロとニワ

鰊番屋の内部構造で特に重要なのが、雇漁夫たちが使用した「ダイドコロ」と、中央部の「ニワ」です。

「ダイドコロ」は、雇漁夫たちの生活の中心となる空間です。広々とした板敷きの部屋で、多くの人数が一緒に食事をしたり、夜は寝床として利用したり、また漁網の手入れなど様々な作業も行われました。多人数を収容するため、この部屋には通常、室内に柱がありません。寝床は「ネダイ」と呼ばれ、主に二段式のベッドが標準でしたが、三段式のものも見られました。

「ニワ」は、雇漁夫たちの居住スペースと網元の住居部分を分けるように位置する土間通路です。建物の出入り口として機能するほか、水仕事や土間が必要な作業に利用されました。この土間の配置にはいくつかのパターンがあり、建物内を通り抜けられる構造や、L字型、あるいは突き当たり型など、多様な例が見られます。

建物の外観と立地

鰊漁場建築の外壁には、風雨に強く耐久性のある下見板張りが広く採用されています。地域や時代によっては、下見板張りの構造が簡素化された例も存在します。
屋根材には、鉄板葺きや、柾葺きの上に板金を重ねたものなど、様々な素材が用いられました。建物によっては、自然光を多く取り入れるための越屋根や、海上の見張りや通信に使われた望楼が設けられているものもあります。

これらの建物は、多くの場合、入江の奥や崖下など、船や山道以外からのアクセスが難しい場所に築かれました。海岸線に沿って建物を平行に配置するのが一般的な形態でしたが、入江の一番奥に建てられた例も見られます。

番屋以外の「鰊御殿」

「鰊御殿」と呼ばれる建物の中には、漁業作業を主とする番屋とは異なる機能を持つものも含まれます。これは、ニシン漁によって蓄えられた富が、多様な建築物を生み出したことを示しています。

例えば、江戸時代に松前藩が設置した交易拠点の一つで、ニシン交易と深く関わっていた「旧下ヨイチ運上家」（余市町）も、「鰊御殿」と称されることがあります。また、網元や漁師に物資や資金を提供した「仕込屋」と呼ばれる商家が建てた建物（寿都町の旧橋本家邸宅など）や、北海道でのニシン漁で成功した人物が、自身の故郷に建てた豪華な邸宅（山形県の旧青山本邸など）もそう呼ばれる例が見られます。これらの建物は、ニシン漁が生み出した経済力が、単なる漁業施設にとどまらない影響を地域にもたらしたことを物語っています。

現存する主な鰊御殿・鰊漁場建築

現在、かつてのニシン漁の繁栄を伝える「鰊御殿」や鰊漁場建築の多くが、貴重な歴史遺産として保存され、あるいは文化財として指定されて一般に公開されています。これらは、当時の漁場の様子や人々の暮らしぶりを知る上で大変貴重です。

公開されている主な例
小樽市鰊御殿（旧田中福松邸、小樽市）
銀鱗荘（旧猪俣安之丞邸、小樽市）
小樽貴賓館 にしん御殿 旧青山別邸（旧青山政吉邸、小樽市）
旧青山家漁家住宅（札幌市 北海道開拓の村）
鰊御殿とまり（旧川村家番屋・武井邸客殿、泊村）
はまます郷土資料館（旧白鳥家住宅、石狩市）
群来陣（旧白鳥家番屋、小樽市）
旧余市福原漁場（余市町） - 国の史跡
旧花田家番屋（小平町） - 国の重要文化財
お宿 鰊御殿（旧橋本与作邸、寿都町） - 仕込屋だった建物
桃岩荘ユースホステル（旧柳谷家番屋、礼文町） - 鰊番屋を改修

非公開の主な例
佐藤家（寿都町） - 北海道指定有形文化財
旧留萌佐賀家漁場（旧佐賀家番屋、留萌市） - 国の史跡
旧関家番屋（留萌市）

これらの建築物は、北海道の開拓史における一大産業であったニシン漁の活気や、そこで築かれた富、そして当時の人々の生活や文化を今に伝える貴重な証言者と言えるでしょう。

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