アポロの歌

アポロの歌：手塚治虫が描く愛と絶望の物語

1970年、週刊少年キング誌上で連載された手塚治虫の漫画作品『アポロの歌』。本作は、性愛を大胆に描いた物語として知られ、当時神奈川県において有害図書に指定されるなど、社会的な波紋を広げました。学園紛争の時代背景を反映し、暗く、殺伐とした世相が作品全体に漂っています。

物語の中心人物は、母親から虐待を受け、愛を憎むようになった主人公・近石昭吾です。精神病院に入院した昭吾は、治療の合間に繰り返し夢を見ます。その夢は、オムニバス形式で描かれる複数のエピソードで構成され、それぞれの物語において、昭吾は愛する女性と巡り合うものの、必ず悲劇的な結末を迎えます。いずれも、愛する女性との結びつきが叶わず、自分自身または相手が死んでしまうという、強い悲劇性を持った物語です。

このオムニバス形式は、各エピソードが単独の物語として成立しながら、全体として主人公の心の葛藤や成長を浮かび上がらせる巧妙な構成となっています。この手法は、後の手塚作品『鳥人大系』にも見られる特徴的なものです。

作品タイトルの『アポロの歌』は、第5章で明かされるように、ギリシア神話のアポロとダフネの悲恋物語に由来します。太陽神アポロは、ニンフのダフネに恋心を抱きますが、アポロを拒絶したダフネは月桂樹に変身してしまいます。悲嘆に暮れるアポロは、ダフネを偲んで月桂樹の枝を冠として身に着け続けたという神話です。この悲恋は、主人公昭吾の辿る運命と重なり合う、作品全体のテーマを象徴するものです。

手塚治虫は、同時期に『ふしぎなメルモ』や『やけっぱちのマリア』といった性愛をテーマにした作品を発表していましたが、『アポロの歌』はそれらとは異なる、より重厚で劇的な作品となっています。『メルモ』が低年齢層の少女を対象とした作品、『やけっぱちのマリア』が学園恋愛コメディであるのに対し、『アポロの歌』は、手塚自身の言葉によれば「劇画ふうにタッチを変え」、絶望的な物語を描いています。

物語は、母親から繰り返し虐待を受け、愛を憎悪に変えてしまった昭吾の歪んだ心の内面を深く掘り下げていきます。昭吾は、愛し合う動物たちを殺めるなど、自らの心の闇を露呈します。そして、ついにその罪で警察に逮捕され、精神病院へと送られていくのです。

精神病院での治療中、昭吾は夢の中で、女神像から「愛を呪った罰として、女性を愛するも結ばれる前に死別する運命」を告げられます。この罰は、作品全体を通して繰り返される、昭吾の悲劇的な運命を暗示しています。

夢の中で描かれる様々なエピソードは、戦争中のナチスの兵士としてユダヤ人の少女を愛する物語、無人島に不時着したパイロットと女カメラマンの物語、合成人が支配する未来社会でのレジスタンス活動など、多様な設定と状況を通して、愛と死、そして絶望というテーマを多角的に探求しています。

そして物語のクライマックスとなる第5章では、昭吾は逃亡中に渡ひろみという女性と出会い、恋心を抱きます。しかし、ひろみは昭吾を治療する医師の教え子であり、昭吾の心を癒すため、彼に陸上競技の訓練をさせていたことが明らかになります。二人は愛し合うものの、運命のいたずらによって悲劇的な結末を迎えることになります。

最終的に、昭吾はひろみと共に命を落としますが、夢から覚めた昭吾は、再び愛の女神の前に現れ、永遠に繰り返される愛の試練に挑むことを余儀なくされます。このエンディングは、愛と死、そして人間の運命に対する手塚治虫の深い洞察を表現しています。

『アポロの歌』は、単行本化の際に大幅な改稿が施されており、オリジナル版を収録した単行本が2019年に発売されました。様々な版が存在するこの作品は、現在も多くの読者に読み継がれ、手塚治虫の代表作の一つとして高い評価を得ています。

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