ラーフ

ラーフ

ラーフ（Rāhu）は、古代インドの神話や伝統的な宇宙観において非常に重要な位置を占める存在です。神々に対立する力を持つアスラ（阿修羅）の一員として語られ、その名前はサンスクリット語で「捕らえる者」や「掴む者」という意味を持っています。また、インドの伝統的な天文学や占星術体系であるジョーティシャにおいては、羅睺（らごう）として九曜（ナヴァ・グラハ）と呼ばれる主要な九つの天体の一つに数えられています。羅睺は通常、実体を持たない影の天体として扱われ、特に太陽と月の軌道が地球から見て交差する二つの点のうち、昇交点（北ノード）を象徴するとされています。

神話：アムリタを巡る争い

ラーフが日食や月食といった天文現象と深く結びつき、「悪星」として人々に畏れられるようになった背景には、インド神話の中でも特に有名な出来事の一つである「乳海攪拌（にゅうかいかくはん）」における逸話があります。この神話は、神々（デーヴァ）とアスラたちが協力し、あるいは争いながら、宇宙の広大な海を攪拌し、様々な神秘的な存在や物品を生み出す物語です。その攪拌の末に、不老不死の霊薬アムリタが誕生します。

この強力なアムリタを巡って、神々とアスラの間で激しい争奪戦が起こります。最終的にアムリタは神々の手に渡り、彼らはその分配と飲用を始めました。その神聖な集まりの最中、ラーフという名の狡猾なアスラが、その知恵を働かせました。彼は巧みに神々の姿へと化け、神々の列に紛れ込むことに成功したのです。そして、そのまま神々の一員であるかのように振る舞い、その貴重な霊薬アムリタを一口、口にすることができました。アムリタは、たとえ少量でも飲んだ者に不死性を与える力を持っています。

しかし、ラーフの欺瞞は長くは続きませんでした。天上の全てを見通す太陽神スーリヤと月神チャンドラが、その列の中に紛れ込んだのがアスラであるラーフであることを見破ったのです。彼らはすぐさま、世界の維持を司る偉大な神であるヴィシュヌに事の次第を告げました。ヴィシュヌ神は、アスラが不正な手段でアムリタを得たことに激しく怒り、彼の持つ最強の武器である円盤（チャクラム）、特にスダルシャナ・チャクラとして知られるものをラーフ目掛けて投擲しました。チャクラムは一瞬にしてラーフに到達し、彼がアムリタを飲み終えるか飲みかけていたまさにその時に、彼の首を胴体から切り離しました。

日食・月食の原因となった首

通常であれば、首を切断されればいかなる存在も死に至ります。しかし、ラーフは既にアムリタを口にしていたため、その首は不死の力を得ており、切り離された後も単独で生き続けることになりました。この不死となったラーフの首は、天界へと昇り、自分を密告した太陽神スーリヤと月神チャンドラに対し、深い恨みと復讐心を抱き続けました。その怨念が、日食や月食といった天文現象の直接的な原因であると古代インドでは考えられました。

ラーフの首は、周期的に天空を巡り、復讐心から太陽や月を飲み込もうとします。ラーフが太陽を飲み込むことで日食が、月を飲み込むことで月食が発生すると信じられたのです。しかし、ラーフは首だけで胴体がないため、飲み込んだ太陽や月は喉を通ってすぐに体外に出てしまいます。これが、日食や月食が一時的な現象として終わる理由であると説明されました。この神話は、単なる物語としてだけでなく、古代の人々が壮大な天体現象を理解し、説明しようとした試みとしても捉えることができます。

さらに、月の満ち欠け、特に月が完全に姿を消す新月の状態についても、ラーフが月を一時的に飲み込むことによって引き起こされるのだと解釈される場合がありました。このように、ラーフは天空における様々な現象と深く関連付けられていました。

ラーフの血縁

ラーフの出自についても、伝承は語っています。彼は、強力なアスラの王であるヴィプラチッティと、その妃シンヒカーの子であると広く伝えられています。また、ラーフ自身にも子孫がいました。彼の息子たちはケートゥと呼ばれ、その数は三十二あるとされています。インドの天文学や占星術においては、これらのケートゥはしばしば空に現れる彗星と同一視されました。古代より、彗星の出現は多くの文化で不吉な出来事の予兆と見なされてきましたが、インドにおいてもラーフの息子であるケートゥ（彗星）の出現は、一般に凶兆の兆候であると見なされていました。

このように、ラーフはインド神話における重要なアスラであると同時に、天体現象の原因とされた「悪星」であり、インド占星術における運命を左右する影の天体「羅睺」として、多岐にわたる役割と側面を持つ、非常に象徴的な存在です。

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