偽汽車

偽汽車：明治時代の謎めいた怪現象

明治時代、日本の鉄道開通と共に広まった不思議な噂話があります。それは「偽汽車」と呼ばれる怪現象で、幽霊機関車とも呼ばれています。存在しないはずの蒸気機関車が線路上を走るという現象で、人々を恐怖に陥れました。

偽汽車の正体を探る

偽汽車の正体については、様々な説が提唱されています。最も一般的な説は、狐や狸などの動物が変化能力を使って汽車に化けたというものです。これらの動物は、汽車に化けている最中に本物の汽車に轢かれ、死体となって発見されるという話が多く残されています。

民俗学者・柳田國男は、著書『狸とデモノロジー』の中で、偽汽車の噂を考察しています。柳田は、近代の新しい音響である「夜汽車の音」に着目し、狸が音真似をして人を欺くという伝承が偽汽車の背景にあると指摘しました。山中で説明のつかない奇妙な音を聞いた際に、狸の仕業だとされたように、夜汽車の音も狸の化かしだと解釈された可能性を示唆しています。

民話研究家の佐々木喜善も、偽汽車について調査を行いました。しかし、調査先の住民からは事件の存在を否定され、伝聞情報ばかりが寄せられました。佐々木は、偽汽車の話の内容がどこでも同じであることを指摘し、その均一性を疑問視しました。

常光徹は、偽汽車の分布と内容の均一性から、鉄道開通に伴う新奇な噂話が新聞などのメディアによって短時間に広範に拡散されたと推測しています。当時、新聞は怪談や怪奇記事を好んで取り上げていたため、偽汽車の噂話が大きく広まった要因になったと考えられます。

松谷みよ子は、鉄道開通直後の運転手がイギリス人だった時代には偽汽車の噂がないことを指摘し、明治12年以降に運転手が日本人になったことが、偽汽車の話の誕生に関係している可能性を提示しています。

具体的な説話：亀有の狢塚

常磐線周辺、特に東京都葛飾区亀有では、偽汽車の目撃談が多く残されています。夜遅くに汽車が走っていると、逆方向から別の汽車が迫ってきて、衝突寸前で消えてしまうというものです。ある機関士は、偽汽車と衝突寸前までブレーキをかけずに走行したところ、「ギャッ」という叫び声と共に偽汽車は消え去り、翌朝、汽車に轢かれた狢の死体が見つかりました。この狢を供養するため、亀有の見性寺に塚が作られ、現在も「狢塚」として残っています。この話は、線路敷設によって棲み処を失った狢が、復讐として汽車に化けたという解釈を与えられています。

偽汽車と日本の文化

偽汽車の話は、単なる怪談話ではなく、日本の民俗学、妖怪談義、そして近代化がもたらした社会変化を反映した興味深い事例です。狸や狐の化かし、音真似、そして近代メディアの影響など、多角的な視点から考察することで、明治時代の社会状況や人々の心理を理解することができるでしょう。また、偽汽車の話は、地域によって様々なバリエーションが存在し、それぞれの地域の文化や伝承が反映されていると考えられます。これらの物語は、過去の出来事を通して現代社会を理解する上で貴重な資料となっています。

参考文献

多田克己『幻想世界の住人たち』IV、新紀元社、1990年
松谷みよ子『現代民話考』3巻、筑摩書房、2003年
村上健司『日本妖怪大事典』角川書店、2005年
常光徹、「乗り物のうわさ話」、渡邊昭五（編）『口頭伝承<ヨミ・カタリ・ハナシ>の世界』10、三弥井書店、2004年

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